日本と英国の情報化

 今日は上智大学でブリティッシュ・カウンシルとJAPETなどが主催する「教育情報化セミナー日英編」に出席した。この頃,周りの先生方が英国へ視察に出かけているのだが,私は貧乏人らしく日本で英国(UK)事情を勉強することにした。
 東京と大阪(26日)で開催。UKの教育技能省(DfES)テクノロジーグループと教育工学通信協会(Becta)からお二人の担当者が来日し,UKの教育の情報化事情をお話ししてくれた。実はどちらもラストネームはマクレーンさん。でも親戚でも何でもないらしい。
 DfESのケビン・マクレーンさんは,英国政府とDfESがどんな取り組みをしてきたのか紹介してくれた。現場への情報機器導入といった次元の話はほとんどなかった。英国政府は学習経験の充実のために環境整備を当然行なってきており,教師という専門家がテクノロジーを使うことも当然のことといった前提。今後は,学習者やその親御さんたちが24時間いつでも情報やサービスにアクセスできる個別的な環境を整備していくことが主眼のようである。
 もちろん現場レベルにおいては,電子ボードの活用や柔軟なカリキュラムの開発や共有にまだまだ課題が残されているようだ。しかし,少なくとも国レベルでは,ダイナミックな学習経験に結びつけるためのテクノロジー施策をどんどん打っていくようだ。「This is not about technology — it is about learning.」当然といえば当然すぎる言葉がスライドに映し出されて,そのためにリソースを使っていくことに何の迷いもない英国の取り組みに,あらためて感心した次第である。
 Bectaのニール・マクレーンさんは,Bectaという組織の紹介とICTを活用した現場の現状や今後について紹介してくれた。Bectaというのは日本で言うところのメディア教育開発センターなのかな。いや,もっと現場に関与して技術提供したりICT活用を支援する活動を行なっているような組織だから教育情報ナショナルセンターの方が近いか。ニールさんの発表はICTの活用が学習効果や成績にも好影響を与えているということに触れていたけれども,実のところこの効果のほどは劇的とはいえず,日本のそれとどっこいどっこいという感じではあった。
 けれども,ここでもそんな後ろ向きな発想は出てこない。仮にわずかでも全体的には好影響を与えていると調査結果が出ている以上,何が違いを生むのかを真摯に捉え,それを伸ばしていこうという前向きな態度なのである。そしてインフラ,コンテンツ,実施方式の変遷を示しながら,それらの課題に対応したテクノロジーの提供と学習の場における組織デザインそのものの変革を目指すのである。たとえば「self-review framework」というICT活用と組織デザインに関する規準と基準のような枠組みを用意して,学習者のための教育成果改善へと役立てようとしている。これをWebベースで記録していき,共有化する仕組みも用意しているらしい。
 ニールさんの最後のスライドを引用してみようと思う。英国においてICTに関するポリシーがどんな方向性を持っているのか,7つ示されている。日本語訳によると「教師主→学習者主」「固定→流動」「個々のデータ→データ蓄積」「コンテンツ→サービス」「まとまりのない管理,カリキュラム,評価→学習向上と個別化に焦点を置いた学習プラットフォーム」「周辺→本質」「’よい教材の一部’→’強力な解決手段’」 こうしたポリシーの方向性に基づいて,迷いなくストレートに取り組んでいるという印象であった。
 午後にはパネルディスカッションが予定されていて大変興味があったが,別件で小学校現場の研究助言する仕事があるので,ここまで。英語版の資料をもらって上智大学を後にした。ちなみにニールさんのスライドは検索したらインターネット上に似たようなものがあったので,興味のある方は,そちらを(ニール・マクレーンさんのスライド)。公開を意図したものかはわからないので,とりあえず感謝しながら参照するようにしましょう。何事も感謝の気持ち大事。
 午後は日本の学校現場におけるIT活用の取り組みについて。今回は2年生の国語の時間で,デジタル教科書とタッチパネル機能付きプラズマディスプレイを利用した授業を見せてもらった。そのようなツールがごく当たり前に使えるようになることは,とても大事だと思った。一方で,授業を構成し作り上げる基本的な取り組みが今まで以上に重要視されてくることも見えてくる。視覚的な効果が強ければ強いほど,本来の授業が何を狙おうとしていたのかが置いてきぼりにされてしまうことに気がつかなくなってしまう危険性。
 午前中にケビン・マクレーンさんが提示した言葉「This is not about technology — it is about learning.」をもう一度思い返してみるならば,どんなに便利なツールがやって来ても,やはり根幹である授業の設計や授業中の発問などといった部分を極めていくという試みは変わらず大事である。むしろこうしたテクノロジーを活用しなければならない時代だからこそより一層大事になるのだということに自覚的でありたい。
 というわけで,午前中に聞いたことを午後に受け売りでご披露して,私の小さな日英の架け橋活動は幕を閉じたのであった。その後は反省会。授業担当してくれた若き男先生に講評で辛辣なことばかり言ってしまったので,本当はとても素敵で楽しい授業だったといっぱいいっぱい褒めて励ました。
 教育学部を出て十何年,友人たちの多くが現場で活躍している。彼らに直接報いることができない分,こういう機会に現場の先生のお役に立ちたいと思っている。そのためにピエロになれというならば,僕は喜んでそうする覚悟なのである。そんなことを思い出しながら,現場の先生たちとのひとときを過ごしていた。