第164回通常国会が閉会した。教育基本法の改正案が提出されながら,期限切れという理由で決着しなかった。改正について賛成の立場も反対の立場も,議論や改正案が中途半端状態であったことを考えると,決着しなかったことにホッとしているのかも知れない。
改正案なるものが示されて,書店にはそれに関する関連書が並び始めた。国会会期の行方と共に,駆け込みで改正案が可決されてしまうのではないかという懸念により,教育基本法改正自体は注目を集めた。けれども,この国の教育を現実的によくするため教育基本法改正が最優先であると信じる人は少なかったろうし,そもそも教育基本法自体についての認識も十分だったとはいえない。
教育にかかわる仕事に携わっていても,畑が違えば「ど素人」同然。私自身,駄文だから気楽に書くのもありかとは思うが,教育基本法の改正に関して準備もなく深入りすれば,痛い目に遭うこともよく承知している。何しろ基本法である。現場であれこれと試してガッテンするタイプの話じゃない。
本来ならば,6月2日New Education Expoで中教審の会長でもある鳥居泰彦氏が講演した教育基本法改正舞台裏の話をご紹介すべきだと思う。けれども,長い紹介をするための心の勢いがないので,その代わり,簡単に書くと,教育基本法改正案で考えられていることは,愛国心云々だけではなく,占領時代を断ち切り,この時代にあった法律へバージョンアップすることらしいのだ。そこで鳥居氏が最初に紹介したのが,法律としての「部分修正」なのか「全部改正」なのか「新法制定」なのかという法律を改正する際の方法論であった。そして内閣法制局との丁々発止?のやりとりを披露したのである。
実は,今回書きたいことは,この鳥居氏の講演でも指摘されていた「教育基本法」の前文の前文?についてである。皆さんは巷の教育基本法改正関連本をご覧になったことがあるだろうか。あるいは教育関係の方々は,三省堂か学陽書房なりの『教育六法』をお持ちだろうか。そこに記載されている教育基本法をご覧いただきたい。一般的には次のように始まっている。
—–(a)
教育基本法 (昭和二二年三月三一日 法律第二五号)
われらは,さきに,日本国憲法を確定し,民主的で…(以下略)