私は研究に対して「見える世界を見る研究」と「見えない世界を見る研究」という大きな括りを持っています。前回は,前者を実践研究,後者を学術研究に対応させて表現しました。
この場合の,見える見えないの差異に,明確な定義があるわけではないのですが,行動や現象として可視的なものを「見える」と考えて,背後にある概念や原理のような隠れたものを「見えない」と位置付けることを基点としたいと思います。
ただし,このことによって両者に明確な違いが生じます。それぞれの世界を見るための「言葉」がどうしても異なってくるのです。異なる程度は場合場面によって様々なので,容易に相互理解できる場合もあれば,かなり翻訳をしなければならない場合もあり得ます。
そして,実践研究と学術研究の決定的な違いは,研究成果の積み上げられる「場所」に他なりません。そのことも,両者の言葉の違いを必然としているのです。
研究が積み上げられる場所とは,どこのことなのか。
実践研究は,実践の現場(学校など)に研究成果が積まれていくと考えられます。
一方,学術研究は,学術の現場(学会など)に研究成果が積み上げられていくのです。
それぞれの現場には,それぞれ積み上げられてきた「歴史」があり,それが両者の違いの大きな部分を占めているといっても過言ではありません。
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研究は,必ずしも実践研究と学術研究との二つに分けられるわけではありません。立場や考え方によって分け方には様々あることでしょう。
しかし,「言葉」「(成果の返される)場所」「(その場所の)歴史」といったものが,研究の性格を大きく決定づけていることは間違いありません。
そして,ある日現場で普段の実践研究(授業研究など)とは違う研究を志すということは,それはいつもと違う「言葉」で,いつもと違う「場所」に向けられた,長く積み上げられてきた「歴史」に基づいて行なう研究の世界と関わり始めようとすることでもあります。
そのことは,見知らぬ異国で滞在することにも似ています。私たちが異国で滞在する仕方も,単に旅路の通過点として触れるのか,ツアーの旅行者として見て回るのか,短期留学をするため訪れるのか,長期間に渡ってその国で生活するのか,あるいは骨を埋めるのか,様々です。
次回は,旅先の振る舞い方をモチーフとして,研究世界への触れ方を考えたいと思います。