僕らは海を越えられるのか

 イラン大統領選挙結果に対する人々の抗議デモは流血の惨事へと化している。手を伸ばして数クリックすれば,悲惨な映像を直接見ることもできる。その数クリックは近いようで遠く,遠いようで近い。

 一方で,自分の足下さえ不安を覚える非正規待遇の教育職員によって支えられた教育現場に,数クリックで世界へ漕ぎ出せてしまうような時代の生き方を引き受けさせるのは,本当に現実的といえるのか。

 あるいは鉄の玉が飛んでこない限りにおいて,それはどこまでも遠い世界の話なのだろうか。あるいは,みんな覚悟ができていて,承知の上で対話をしているだけというのか。

 私にはいまだに,周りの人々がどんな納得をしてあれこれを認識しているのか,よくわからない。そのうち,「それは取るに足らない問題なのだ」と認識したほうが賢いやり方のだと振る舞ったほうが,少なくともこの日本で生きていくには妥当な方法なのだと,私も信じたほうがいいのかなと思えてくる。

 とりあえず出来るところから…,そこからしかないじゃん。その言葉の意味をよくわかっているつもりだけれど,その言葉を聞くたびに,見ザル聞かザルの猿たちの姿が重なって仕方がない。

 もう一度,心の声を聞き直さなくてはならない。