地方で起こっていること

 四国での生活も2年目に突入。何もしない間に時間だけが過ぎてしまっているが,とりあえず元気に過ごせている。

 最近,地元の愛知県の名古屋市で,市長と議会の衝突が話題となった。それ以前から,各地には名物知事や首長が登場し,地方からの改革と称した動きが活発化していたが,とうとう首長と議会の問題にまで改革の触手が届いてきたというわけである。

 2000年に入ってからの一連の行政改革の動きと教育改革との関係性を理解するためには,どうしても行財政に関わる理解が必要になっていたし,教育基本法の改正といった一大事もあったので,教育法規に対する理解も深めなければならない時代となった。

 けれども,この10年の間に,教育行財政に関する議論や教育法規に関する理解が高まって,学校教育現場にその成果が届いたというような話はほとんど聞かない。

 どちらかといえば相変わらず「振り回されて疲れました」「ほっといてください」という今どきな声が現場からあがっているようにも見受けられる。だからといって,学校教育現場に関わる人間もまた行財政や法規に関する知見を踏まえたというわけではなさそうだ。

 昨年,堀和郎/柳林信彦『教育委員会制度再生の条件』(筑波大学出版会2009.6/3900円+税)という研究書が出版された。

 学校教育現場に最も近い教育行政組織でありながら,その内実は見えにくく,その必要性も疑われ続けてきたのが教育委員会であるが,そこに調査のメスを入れて実証的に分析して見せたのが上記の本である。

 すでに一般向けの書物として古山明男氏の『変えよう! 日本の学校システム』(平凡社2006.6/1600円+税)が,教育委員会とそこに置かれた事務局およびその長である教育長の存在について紹介するなどして,複雑な権限分散システムが前向きな教育改革の取組みを阻む元凶になっていることなど一部で話題になった。(ちなみに古山氏は「熟議カケアイ」サイトで積極的に書き込みなどして活躍されている。)

 先の書は,教育長の存在が,教育委員会もしくは教育改革の進展にどう寄与しているのか,という興味深い問題設定を行ない,データにもとづいた分析を試みている。その他にも教育委員会の運用実態であるとか,首長との関係性に焦点を当てた分析も用意されている。

 ちなみにこの研究で,教育長の態度志向パターンを3つに分類しているところが興味深い。曰く,「問題解決志向」「首長一体志向」「自己利益志向」である。もちろん,この他にも交流パターンや職務遂行パターンなどの変数が加わって分析が試みられている。

 こうした研究成果が注目されることや,否応なく突き進むこの国の地方分権化の流れを考えれば,私たち国民もしくは市民がもっとも注視し,影響力を行使しなければならない対象が「地方」に存在することは明らかである。

 ところが実際には,この「地方」というものがほとんど省みられてこなかった。

 都会に軸足を置くような大マスコミを中心とする報道・言論の世界では,地方の問題は見える現象を紹介するくらいが関の山で,その問題解決のために必要なローカル情報はほとんど取り上げられない。地方においても,地方新聞といったローカルマスコミが元気なところでない限り,自分たちの住む土地の行政がどうなっているのかは,ほとんど知られていないのが実際ではなかろうか。

 こうした状況を変え始めたのは,タレント知事や名物首長の存在と活動であったと思う。乱暴な言動や派手な演出が話題になることも多いが,おかげで地方の在り方に光が当たり始めた。そうした様々な出来事から考えても,「地方」を動かすことが物事を動かす出発点であることは間違いなさそうだ。

 今後,どのような教育的議論・取組を行なう際にも,国家と地方自治の関係を行財政・法規の視点から大雑把にでも理解していくことが重要である。現場では,これまで校長・副校長・教頭レベルで求められていたような知識であるが,今後は一般の教職員もこうした知識を深めていなければ,高まる市民の知的水準に追随できなくなる。

 昨今は教育法規に関して『図解・表解 教育法規』(教育開発研究所)といった見やすい資料が発売されているが,『教育法規便覧』(学陽書房)くらいの範囲が見渡せる情報に触れておくと良いかも知れない。

 地方自治に関する文献は様々あるが,村松岐夫氏の『テキストブック地方自治 第2版』(東洋経済新報社2010)は版が新しく,「教育」についても一章分設けている点から,最もおすすめの概論書である。同様な文献として佐々木信夫氏の『現代地方自治』(学陽書房2009)も地方自治の内側を掘り起こしながら簡潔に整理している良書だと思う。

 地方自治の仕組みについて理解を深めたならば,あとはお金の動きを追いかけるのが最も効率的である。これらのテキストで地方財政の関する解説を読み,たとえば『図解 自治体財政はやわかり』(学陽書房)にような概説書を覗くことから始めると,国の財政と地方の財政との関係などが少し見えてくるし,教育にだけお金が回らない仕組みも少し見えてくる。

 名古屋で巻き起こっている議論のあるべき決着の形は,正直なところ私には分からない。現在の首長と議会の仕組みが,首長に有利というものもあれば,議会が議決権を持っているから首長劣勢だと考える人もいる。

 けれどもどちらも市民の代表者。日本がとった「二元代表制」の仕組みがあって,それを生かしているのか殺しているのかが問われていたりする。首長が暴走してもダメだし,議員があぐらをかいていてもダメ。どちらも住民の意思を汲み取り動いてもらわなければ,損をするのは市民である。

 同じことが教育の分野でも起こっているのだろう。権限が分散した事情は複雑で理不尽だったかも知れないが,いずれも教育に奉仕する立場のはずである。もっと前向きに取り組んで欲しいが,あるいはそのためには私たち市民あるいは国民がそう仕向けるための圧力をしっかりとかけていく必要があるのかも知れない。

 そのためにも「地方」という足下へのルートを開けておく必要がある。