月別アーカイブ: 2006年9月

時間を超え場所を越え

 米Googleが,過去200年以上に遡る各種新聞雑誌記事を検索対象とするサービスを開始した。記事によっては,本文全文を閲覧するのに有料の場合もあるが,複数の新聞雑誌の過去記事を横断的に無料検索できる時代になった。10年前は,こんなことをするのに高い料金が必要だったのである。
 Googleが世界中の情報を検索出来るように猛進している成果が,またここに日の目を見たわけだ。図書館の蔵書の本文を検索できるようにしたりする試みも物議を醸したのは記憶に新しい。著作者利権との衝突はあるだろうが,なるほど,あらゆる情報が端末から検索でき,有料だろうが無料だろうが,何らかの形で手に入ることは利用者には有り難い。そこまでの目処が立ったら,Googleが情報課金して著作者へと還元する仕組みも現実味を帯びるのだろうか。EPICか…。
 もっともYouTubeに見られる動画投稿の氾濫ぶりを見ていると,すべてをネット上に持ってくることには限界もありそうだ。検索が前提とする平板化だけではビジネスは成り立たない。何らかの囲い込みが保証されないとうまくいかない。
 それにしても,こういうニュースに触れるたび,日本の英語教育戦略をどう組み立てればいいのか,悩ましい。もしも小学校段階における教育現実がもっと信頼される程度に認識されていれば,小学校への英語科目導入はそんなに問題視されなかったのではないか。
 ところが,現場の努力とは裏腹に義務教育への信頼は低減していたし,そもそも国は教育施策をないがしろにしつづけてきたわけだから,そこに新たな負担やコストをかけるような施策を打ち出しても,誰も安心してうなずくわけがない。要するに,日頃の行ないが悪い人の言うことは信用されないのと同じ理屈である。
 先日,英国との国際交流学習に関する実践の報告をBEATセミナーで聞いた。Japan UK LIVEという名のプロジェクトである。そのプロジェクトを支えている組織では,Webとメーリングリストで日本とイギリスの学校交流を取り持っている。
 このプロジェクトの素晴らしいところは,10数名もの翻訳チームを抱えて,日英の学校のやりとりを翻訳支援する点である。つまりWebもメールも二カ国語。自国語で海外の学校と思いきり交流できるのである。たまにビデオチャットでリアルタイムの交流をする際にも,オンラインで同席して通訳してくれるという手厚さ。
 発表していた現場の先生の言葉に目からうろこが落ちた。曰く「国語科で国際交流学習ができる」。これまで国際交流といえば英語科の領域か,総合的な学習の時間とか全学的な取り組みみたいなものになりがちだった。ところが,このプロジェクトの手厚いサポートのおかげで,ごく普通の国語の授業で,海外の学校と交流できるのである。
 もちろん英語を習得して直接やりとりできれば,また違った交流の展開もあり得るだろう。けれども,つたない言語能力で交流するよりも,まず言語の壁を乗り越える仕組みを確保して,思いきり交流させたなら,逆に外国語習得への意欲が増すのではないだろうか。
 早期の言語習得は,子どものもつ好奇心と習得能力の高さを利用して,自然習得に近づけることを目指している。それも一つの方法だし,小学校への英語科目導入もその路線なのだろう。
 けれども一方,国際交流によって外国語習得への意欲を十分に高める,能動的な習得を企図するやり方もあるだろう。その場合は,むしろ現在の中学高校の英語教育をより重点化していく路線もあり得る。
 正直なところ,英語教育の議論において,こんな単純な二者択一の選択肢さえ国民には明確に提示されていないのである。日本の英語教育をどう舵取りすべきなのか。それは単に学問的な適否だけではなく,こんな世の中で日本という国をどうしたいのかという国家戦略の話でもある,つまり,困難が伴おうと必要だから「やるの?」,それとも問題多いから「やらないの?」ということを選択する話なのだ。(もちろん,どんな結論を出すにしても,学問的なり事実的なり実態把握や考察を踏まえなければならないことは言うまでもない)
 とはいえ,英語に関していえば,こんなに必要性を感じるようになったのは,やはりインターネットの普及のせいである。10年以上前に英語教育を受け終わってしまった私のような人間は,日常にこんなに英語がなだれ込んでくるとは思わなかった。せいぜい,好奇心旺盛な子が,エアメール(郵便)で海外の子と文通するときに英語が必要になるだろうと思う程度だ。当時の英語の先生たちにしても,こんな大変化を予想だにしなかったに違いない。そして今日,現場で英語の先生をしている方々は,大変な立場に置かれているということになる。逆にいえば,それにも関わらずのんびりしている英語の先生は非難の対象に晒されるわけだ。
 200年分の新聞雑誌を検索できることにどれだけの価値があるかは利用の仕方次第。さらに,そういう情報に不自由なくアクセスできるかどうかという点で大きなハンデがあることをどう考えるべきか。あるいは,自国の文化を集大成するようなアーカイブを作るということにエネルギーを注ぐつもりはあるのか。選択肢は他にもたくさんあるが,これ以上,選択を遅らせることは,どれも選べなくなる可能性を高める。

ネット社会系ドラマ

 名古屋の実家に寄ったのは,父親との打ち合わせのため。それと録画していたNHKのネット社会系番組3部作をゲットするためでもあった。早く東京でHDレコーダー買えよ!って突っ込まれそうだ。
 情報教育の分野で話題となっていた番組で,その人気ぶりに再放送も繰り返され,DVDにまでなっている。なのに,私は今日の今日までこの3部作を見られていなかった。そして先日,見てないことを叱られたので,これは何としても録画した番組を実家からゲットしなければならなくなった。
 3部作(将来増えるかも知れない)は,もともとNHK教育で放送されていた「体験!メディアのABC」という番組の延長で制作された番組。ネット社会にまつわるミニドラマを見ながら,NHK解説委員の中谷日出氏とアシスタントの女の子の対話を通して,メディアとの付き合い方を考えていくという番組スタイルである。
 1つ目,「ネット社会の道しるべ」は,「特集!メディアのABC」として上記の番組の特別編として放送されたもの。「架空請求と個人情報」「電子メール」「掲示板」に関するトラブルのミニドラマ3本と解説で構成されている。
 2つ目,「ケータイ社会の落とし穴」は,携帯電話に焦点を当てた番組として放送されたもの。「メールへの頼りすぎ(依存と誤解)」「迷惑メール(騙しメールと架空請求)」のミニドラマ2本と解説で構成されている。
 3つ目,「ブログ社会の落とし穴」は,待望のブログに関する番組。「ブログデビュー(個人情報と悪意のあるブログ読者の存在)」「盲目的なブログ発信の危険性(虚偽情報の発信と著作権侵害)」のミニドラマ2本と解説で構成されている。それから俳優・堀田龍也氏の演技を見ることもできる。
 こうやって問題をドラマ化して分かりやすく見せるのは,考える材料として重宝する。実際,評判通り3部作のミニドラマ群はよく出来ていて,様々な問題を手際よく盛り込んでいる。
 (ちなみにネット社会や周辺の人々をドラマ化する手法に関して,ネット上でいくらか語られていたことを記憶している。一番近いところでは「電車男」の映像化に関して,あちこちで文章が書かれていた。そこでは不特定多数のネット住人をどう描くかという議論もあったように思う。田中美里が出演したドラマ「WITH LOVE」とか,あるいは映画「ユー・ガッタ・メール」とかに見られるメール・コミュニケーションの映像化もだいぶ定型化しているが,今後どんな映像表現が出てくるか,また楽しみである。)
 2004年に@ニフティがウイルス問題への啓蒙のために開設していたキャンペーンサイト「ウイルスの恐怖展」でも,「メールウイルスの恐怖篇」「不正侵入の恐怖篇」「フィッシングの恐怖篇」という3本のミニドラマを公開していた。これも教材としては,なかなか役立つ。教育向けではないので,少々脚色が大げさなのだが,案内役として役所広司氏が登場するし,ストーリー構成が良いものもあるので,ぜひご覧になっていただきたい。(現在保管されているサイトはこちら
 ああそうだ,まったく別件で情報モラル関連のシナリオを書かなければならないことを思い出した。駄文の最後はお仕事に続くパターンが最近多いなぁ…。

長月4日目

 2日にBEATセミナーがあり,交流学習について勉強。その後,懇親会や二次会で調子に乗ってしまい,日曜日は休肝日。月曜日もあれこれやってたら更新する暇がなかった。明日からは大阪出張。あ,そうか,大阪だ。いま改めて気がついた。締切りものがいくつかあるので,セミナーのこと書くのはもう少し後になりそう。ポッドキャストもそろそろ再開したいというのに,なんだか慌ただしい。むむむ。

長月1日目

20060901_passed 九月である。夏休みが終わり,気持ちの切り替えには良いタイミング。おかげさまで受験の吉報を得ることができ,来春から勉強させていただく場所が決まった。皆様に感謝。
 せっかくいただいたチャンスである。ゼロとは言わないまでも初心にかえって歩み,研鑽を積んで,教育の世界に貢献していきたい。それから,いろんな方々とコミュニケートしなければ…。それがこれから大事になってくると思う。
 さあ,心置きなくお仕事お仕事。ん?