雑読雑感」カテゴリーアーカイブ

授業準備

 新入生歓迎の行事も一段落。ようやく通常授業モード。準備万端なら楽なことこの上ないが,素材集めだけして組み立てはまだというのが実情。せっかくのチャンスなので,受講生の様子も加味しながら,抜本的に見直しをした方がよさそうだ。

 それにしても21世紀(平成13年・西暦2001年〜)に入って,すでに4年が経過したことを皆さんは実感されているだろうか。確か「少数計算のできない大学生」を発端にした学力論争は世紀をまたいだ出来事。そしていま再び,『中央公論』や『論座』や『世界』といった総合月刊誌上を「ゆとり教育」なるものへの批判や学力向上策の必要性を訴える論考が賑わせている。時間の経過の速さに驚くほかない。
 平成10年,11年に改訂された学習指導要領。それが実施されるのは平成14年,15年であった。平成15年には学習指導要領の一部改訂が行なわれ,平成16年には学習指導要領について不断の見直しと全体見直しがスタートした。文科省が方針転換したという議論は機会ある毎に報道されるが,平成15年の改正に「総合的な学習の時間」の一層の充実が示されたにもかかわらず,平成16年の見直しの発端が国際学力調査結果への懸念と「総合的な学習の時間」への批判的見解にあったことから,その朝令暮改ぶりに誰もが混乱を意識した。

 平成17年1月28日付けで答申「我が国の高等教育の将来像」が中教審から出された。18歳人口減少の中で次代の高等教育をどうデザインしていくかが問われた。初等中等教育から高等教育までを各段階の特質を踏まえつつ一貫した考え方で改革していく視点の必要性が謳われている。答申に言われるまでもなく,大学生き残りの時代において,教育の効果と質の向上のために授業方法レベルからの再構築が必要になっている。さて,だからというわけでもないが,授業の準備準備。

続きを読む

最近の本あれこれ

 アップルストア名古屋栄にオープン初日訪れたその足で,紀伊國屋書店に寄る。最近はなかなか本のご紹介が出来ていないが,このところ出てきて入手したものをランダムにご紹介しておこう。
○苅谷剛彦・志水宏吉 編『学力の社会学』(岩波書店2004/3200円+税)
 →以前,『論座』論考や岩波ブックレットとしても紹介された苅谷氏と清水市による学力調査「関東調査」「関西調査」に基づく調査分析の書。日本の学力問題を考える際には重要な先行研究成果のひとつだろう。
 ちなみに苅谷氏は,アメリカにおける子ども中心主義の登場を歴史的に追いかけた書『教育の世紀』(弘文堂)も上梓した。その書のエッセンスは雑誌『アスティオン』61号の論考「教育改革という見果てぬ夢』として掲載されている。
○国立教育政策研究所 編『生きるための知識と技能2』(ぎょうせい2004/3800円+税)
 →話題にされているOECD-PISA(生徒の学習到達度調査)に関する2003年調査国際結果報告書の日本語版である。2000年調査に続く第2回なので,書名に『2』が付いている。この書も学力を云々したければ目を通しておくべき資料だ。
 日本における調査実施の状況や考え方も記されているので,単に調査結果の数値を比較するだけでなく,調査自体の在り方と併せて吟味できる。特に「学習の背景」のセクションについては,国の違いを考えるためにもその辺は大事なポイントだろう。
○S.B. メリアム『質的調査法入門』(ミネルヴァ書房2004/4200円+税)
 →以前から,教育研究における研究方法を勉強するための図書選択の難しさについては考えてきた。もちろん細分化しつつある教育研究のすべてをカバーするものは難しいし,だったら個別に親和性の高い他学問分野の研究法文献で腕を磨くのが一番良いのだろう。この本は,質的調査法に関するテキスト本。副題が「教育における調査方法とケース・スタディ」とあるのが嬉しい。それでいて具体事例どっぷりでなく,基礎議論から積み上げようとしている点に(私は)好感を抱いた。
○『教育小六法 平成17年版』(学陽書房2005/2500円+税)
 →教育にかかわる法律について収録した基本資料の新版。『教育小六法』は,学陽書房と三省堂から毎年発行されているので,そのどちらかを買うが,今年は学陽書房のものが先に店頭に並んでいたので購入した。基本的な内容に違いはないが,資料セクションにはそれぞれの出版社の工夫がある。研究者には三省堂版がいいときもある。余裕があったら両方買えばいいのだけれど‥‥。
○山田昌弘 著『希望格差社会』(筑摩書店2004/1900円+税)
 →遅ればせながら読み始めている。議論の内容はあちこちで聞いていたので後回しにしてしまったが,意外と面白いこと書いてあるので改めて購入した次第だ。日本の教育制度を「パイプライン・システム」と表現して説明する教育議論は少ないので,ここに登場する「パイプの漏れ」といった表現も考慮しておかないと‥‥。「リスク化」「二極化」する日本社会について小気味よく紹介してくれている。
○宮台真司・仲正昌樹『日常・共同体・アイロニー』(双風舎2004/1800円+税)
 →素養もないのにこういう議論に身を乗り出してみることが好きなので,ちょこちょこ読んでみる。ただ読んでいるというだけ。
○杉山幸丸『崖っぷち弱小大学物語』(中公新書ラクレ2004/720円+税)
 →説明はいらないと思う。私たちにとっては日常が書いてあるかも知れないし,皆さんにとってはびっりする世界が展開しているのかも知れない。それでも頑張らなくては‥‥。

『ケータイ・リテラシー』

 情報メディア教育の分野で論議の主役に躍り出ようとしているのは、「ケータイ」こと携帯電話だ。一般の人々から見れば、何をいまさら感があるケータイだが、教育の分野における議論は驚くほど浸透していない。そして困ったことは、議論参加者もしくは対象者間における認識の格差が大きい、そういう話題であることだ。たとえば皆さんは「e-learning」というならば「ああ、聞いたことはある」という程度に認知してきていると思うが、先進的な取り組みを志す先達者たちの間では「m-learning」の可能性が模索されている。これはケータイなどのモバイル端末を教育利用で活用してしまおうという実践なのだが、まだ一般的に認知されているとはいい難い。
 それにしても、実際の教育現場でケータイはとても厄介な存在である。メディアとしての可能性を見いだす立場からは、その道具性ゆえに使い方や接し方について「教育をしっかりすべき」であると論じられるものの、もたらされうる現実について詳細に検討することは少なかった。下田博次氏は『ケータイ・リテラシー』(NTT出版2004/1600円+税)で、たくさんの資料を駆使してケータイのもたらす現実を記述している。ケータイ周辺の問題点を明らかにしようとするとともに、現実的な解決策を模索している。
 下田氏の本においても、結論的には、ケータイなどを代表とするIT技術が活かされた社会の中で、どのように子どもたちが生き、また私たち大人が関わっていくべきなのか、具体的に取り組むべきことは何か、を示している点で議論の大まかな方向性がこれまでのものと異なるわけではない。しかし、下田氏の論は、単にケータイというメディアの特性だけでなく、若者たちの文化や心理の領域を丁寧にたどろうというところに特徴があり、それをもって私たち大人が取り組むべきものを考えようとしている。たとえば子どもたちが大きな関心を抱く「性」文化の問題も扱っているが、こういう議論はすべての論者ができているわけではない。
 それにしても私たち(一般読者)は、ケータイにまつわる言説について、光と陰を語られ、子どもや社会への接し方を考え直した上で、実践することを求められている。それはたとえば利用料金を薄く広く徴収して莫大な利益を上げるビジネスに対して、いちいち抗するといったことも含まれていると思う。小さな実践を積み重ねるという忍耐強さもまた鍛えなくてはならない世の中になってきた。それも子どもたちではなくて、日々の事柄に巻き込まれて慌ただしい大人たちが、である。

ああ,インターネットリサーチ

 年内の非常勤講義も今日を入れて残り2回。筆記試験かレポート課題かで迷ったが,今回はレポート課題で考えを深めてもらうことにした。課題の発表と,講義内容も佳境へ。まあ,それについてはまた取り上げよう。
 帰りはふらりと本屋へ。『AERA』を立読みすると12/20号に「徹底調査 わいせつ行為,生徒との関係/教師の性とストレス」なんて記事が掲載されている。トップ記事の「ニート親」も気になるけどね。とにかく,こういう記事がもっともらしく掲載されるのは困ったものだ。読解力の乏しさが見え隠れしている国で,こんな乱暴なままの記事を多くの人々にさらしてみても,誤解以外の何が出てくるというのだろう。そもそもネット調査は胡散臭い。
 記事の扱うテーマ自体は,個別の事件の程度は様々としても,昨今目立った問題として考えなければならない事柄であることは確かだ。けれども,表だろうと裏だろうと娯楽産業が充実してきたと考えられている世の中で,いまだ「教師の性とストレス」をテーマにしなければならないのだとしたら,いったい何が問題の核心なのだろう。

続きを読む