教職を目指す人たちと

 5日に中央教育審議会のワーキンググループが,「教員免許更新制」の概要を固めたという。導入が決まるのは法改正案の通過次第だが,審議会レベルで制度導入を前提とした案が作られたということは,導入する気満々なのであって,郵政民営化反対くらいに政治的パフォーマンスの効果がない以上,反対もなく気がついたら決まっていると思う。

 新規に免許状を受ける者から適用される予定の「更新制度」。ワーキンググループが固めた案は,1)「国が教員としての適格性基準をもうけ,それに見合う資質の有無を大学が判定し免許状を与える」,2)「原則として10年毎の講習を修了し適格性基準を満たさなければ免許が失効する」というもの。
 これに「教職大学院」(教職系専門職大学院)導入の問題も合わせて諮問されているので,それと絡めた中間報告や答申が出てくるだろう。しかし,学校の先生の周辺で起こる出来事の中で,義務教育費の扱いに次いで大きな論点だと思われるが,世間の問題認知程度は「お金」のことのようにはっきりしない分,低いようだ。


 国が定めるという教員としての適格性の基準は「使命感や責任感」「社会性や対人関係能力」「幼児児童生徒への理解」「教科の専門知識と指導力」といったものを考えているらしいが,それを判定する大学人の側が適格性基準に照らして疑わしい人々と学生から思われていたりすることの多い現実を誰がどうカバーしてくれるだろう。
 まして,団塊の世代が抜けることでやってくる教員不足時代において,適格性基準による免許状の授与/不授与は,「高度な人材に高めてから輩出する」ものとして機能するのではなく,「最低ラインにも届かない人材の排除」を可能にする程度のものになるだろう。よって,「高度な人材に高める」という教育(養成)機能が強化される動機が乏しくなり,おまけに「従来の大学院に加えて新たに教職大学院を設置してるし,毎10年講習も運営しなければならないから,学部の教員養成課程まで手が回らなくてねぇ,ごめんねぇ」と自分で言っていて悲しくなるような言い訳を方々で展開するようになることは,小中高校生達にも容易に推測できることである。

 文科省にとっても,当然そのことは「想定内」であって,実は文科省というのは馬鹿でもなんでもなくて,そういう現実の到来についてわかっていても,結果的には実績が積まれて現実がなにがしか動くところで妥協できるという超現実主義的な組織なのだと,最近思うようにしている。でも,「教育実践」に関わる人間にとっては超現実だけで仕事はできない。やはりこの事態をそれなりに下支えしているのは,人々のロマンチシズムだし,幻想が潤滑油となっているのだから。

 とある大学で今年3年目の集中講義「カリキュラムデザイン」を担当した。一般大学の教職の授業だ。これまで2回,理論によって現実を読み解くという授業内容で,それはそれなりに興味を喚起してきた。けれども,もう少し授業案作りのような現場に活かせる(らしい)内容を求める声もあったので,今年は特定テーマについて「評価規準と判定基準をつくろう」というところから始め,それを授業案に落としてみるという課題を平行させることにした。ふつ〜は規準も基準も,学校単位か学年単位でつくるものだが,真似事をしてその設定の難しさを体感してもらうのも悪くないと思ったのである。
 評価の観点を明確にしながら授業案を組むという体験は,学生達にとって新鮮だったようで,また難しさも同時に味わったようだ。面白いことに,そのような切羽詰まらざるを得ない課題に取り組む最中は,私のような現場経験のほとんどない人間の言葉でも,一生懸命に意味を読み取って手がかりを得ようとしてくれる。「生徒達への具体的な願いが必要になるものだよ,だからこの課題は架空の生徒を考えないといけないから,ちょっと難しいけど頑張って」と声をかければ,「生徒への具体的な願いが必要」という言葉に敏感に反応してくれる。
 若い人たちに接する仕事をする中で,教員養成に本当に必要なものは何かをぼんやり考える。制度や課程としての教員養成という発想にとどまらず,教師教育をも包摂しながら,教員という生き方をトータルに捉えることが大事だと思う。そして,誰かさん達が誰かに向けて,代わる代わるでもいいからいつでも伴走できるような余裕と気心が必要ではないのか。それは,10年毎に突然現れて,適格性を量って去っていくような関係ではなく,地域の教育を支えるためのいつでもウェルカムな場と関係のこと。
 だから,私は教員免許更新制の適用対象が間違っていると思う。これからの教員をめざしている人々はクリエイティブな空気を吸って育っていく人たちである。免許更新毎に講習を受け適格性を問われることで緊張感を維持するような硬直したやり方は,むしろ頭が固くなって動けなくなっている40歳代以上の人々に向けた発想だ。その人達にだって,実のところうまく働かないかもしれない。
 もちろん,免許更新制が導入されてしまう以上は,うまく機能して欲しいと願う。ただ,若い人たちに必要なものが一向に提供されず,ただ枠組みだけが複雑化してしまうとしたら,それは不幸なことだと思う。