週刊ダイヤモンド 7月25日号「子ども危機」
http://dw.diamond.ne.jp/contents/2009/0725/index.html
来週には最新号が書店に並んでしまうが,7月25日号では「子ども危機」という特集が組まれ,週刊ダイヤモンドらしい視点からネットの危険,教育の後進性,少子化・育児問題,出産と小児医療の現実,子どもの貧困問題を扱っている。
週刊ダイヤモンドの特集読むと気が重たくなるのは,そういう切り口だからか,そういう現実が本当に深刻だからか,雰囲気に引っ張られないように立ち止まって考えてみる。
問題が一気に解決する手だてはない。だとすれば,どの部分から良い兆候が見えたら全体の雰囲気に波及するのかを考えるのが順当な手続きである。
ところが優先順位のつけ方は人それぞれ。そのどれも一理あるのだから,結局のところ意思決定に政治が必要になる。つまりこの場合の「政治」というのは,端的に言えば,やってみてもいいかと思わせるくらいにハッタリをかますことである。
米国教育研究学会(AERA)はWebサイトに「Research Points」というコーナーを用意して,政治行政などの意思決定の立場にある人々に対して,学会としての研究動向やポイントを示すようになっている。この数年は更新されていないが,少なくとも研究者側からの情報発信は明確にされている。
日本でも研究動向をまとめた論文は存在するが,こういう形で発進することを前提としたものではないし,学会のWebサイトに掲げられているわけでもない。表立って特定の立場に肩入れしないのが日本の学術研究の倫理みたいなところもあるので,これは文化の違いみたいなものだ。研究者集団には研究によるそれなりの根拠があるにも関わらず,ハッタリをかますことが出来ていないということ。そして,マスコミが主導権を握って読者視聴者が喜びそうな言説や世間的に名前を知られた人々の主張が選択的に流布されているのが実情である。
その意味で,週刊ダイヤモンドの特集記事も,問題の選択や情報の編集権はすべて記者や編集部にあって,その客観性や妥当性がどの辺にあるのかを見定めるのは,読者にはほとんど無理である。
このあたりの問題から取り組むことが正しい優先順位になるのかどうか。正直なところ,確証はないし,得られるものでもないのである。ただそれでも,課題の分かりやすさから言えば,ここから改善するのならやってもいいかなと思わせるのに見合うのかも知れない。
財源問題は悩ましい問題には違いない。この国に寄付文化が根付いていないし,企業は組織の持続成長を優先して社員に還元しない傾向にあるから,政治行政の側から保証をしなければならないのは仕方ないとも思える。日本は教育福祉関係予算をずっと低い水準で押さえ込んできたわけだが,ぼちぼちバランス配分を切り替えるときが来ているのかも知れない。