新春気分もすっかり抜けてきて、今年の事柄がいろいろ始まっている。北海道では日教組の教研集会が行なわれて終わったし、センター試験に向けた受験生や関係者の準備も進んでいる(そういえば私もその手の仕事がある)。そして学生たちは、成人の仲間入りを象徴する「成人式」に参加するため、朝も早くから美容院へと出かけていたことだろう。
統計局の「統計トピックスNo.10」によれば、新成人となる昭和59年生まれの人口推計は150万人。一緒に掲載されているグラフからもわかるように、今後は年々減少傾向にあるとのこと。これに関して、若い世代の人口だけでなく日本全体の人口が減っていくことが経済を縮小させ、世界における日本の競争力を懸念する論がある。また一方で、少子化結構、日本経済は別に人口に関係なくそこそこに適応していく、という考えもある。ああ、いろんな要素をごちゃ混ぜました、すみません。
まぁとにかく、新成人の皆さん、おめでとう。 何が「おめでとう」なのか、実のところよくわからないが‥‥。
新年早々にAERA(‘05.1.17)は、「新しい幸せのかたち」というお得意の自分探し記事をトップに掲げた(新年号は結婚特集だった。今年も路線堅持なのねと素朴に納得した)。内容はどうあれ、世代による生き方の捉え方の違いと、世代間の関わり方を考えるにはいいきっかけだ。因果律に囚われているとか、現状自己肯定を育てるとか、一瞬一瞬を堪能する刹那的視線を持つとか、なんだか研究法の話にもつながりそうな視点移動の議論だが、ある種、自分の哲学もしくは宗教心をつかみ得るかどうかということのようにも思える。
若い世代と接するときに、どのような哲学や宗教心を持つべきか。自身が暗中模索にあることを棚上げしてでも、それなりに設定しなければならないのかなとも感じる。
私の成人式は、早生まれだったので19歳のときだった。なので正直ピンとこないままで出席。しかも、その時期の私は、ちょっとした留学から帰ってきて、あらためて受験勉強中。地元に帰ってきたこと自体にもまだ馴染んでいなかったし、着るものも普段着の延長線上。かつての友人たちとネゴシエーションするどころではなかった。なんだか、バッド・タイミングが幾重にも重なったような日だった。帰宅したときには、すっかり意気消沈してしまったことを覚えている。暗い成人への旅立ちだったのかなぁ‥‥。その後、大学生として新たな生活も始まり、中途半端ながらも学問に勤しみ始めることになる。ん?やっぱり暗いぞ、おい。
大丈夫、大丈夫。正月早々、救ってもらったこの命がある限りは、できることを楽しみながらやってみよう。と、昔なつかしい「亀田のカレーせん」を食べながら思う。