2005:教育問題

 職場も本日をもって年内の業務を終える。しばらくは自宅でゆっくりと時間を過ごせそうだ。この時期にやらねばならない事柄は多い。けれども,とにかくプライベートな時間がなかったために自宅の研究環境が酷く混乱中。これを整えることだけに年末年始は費やされそうだ。文献資料の配置などを再構築しなければならない。ああ,今年も年賀状が危うい‥‥,三年連続出しそびれか?!
 2004年の教育時事を振り返るべきところだが,まだ教育新聞の整理も出来ていないし,今年一年は動向追跡をすっかりさぼってしまった感もあるので,おいおい記録していくことにする。それでも2005年に向けて注目が拡大する話題はいくつかあげられるだろう。たとえば先日の学力調査結果に関連して文部科学大臣の「ゆとり教育見直し」なる路線転換発言と称されるものなどだ。(ところで,「ゆとり教育」という言葉は文科省によって正式に使われただの,使われていないなどの議論はもう片が付いたんだろうか。どうしてこうも教育議論や言説は,積み上げ的なやりとりが出来ないのかと思う。)
 それから,昨今の教師問題は,2005年に本格的な議論へ発展しそうな気配である。それは教員養成・教師教育に限らず,免許更新制導入,教員採用定数・給与,教職倫理,ライフサイクル,メンタルヘルスなどの問題にいたるまで,あらゆる問題を含みうる。これらは新しい問題ではなく,長いこと個別にくすぶり続けてきたものばかり。いよいよそれが焦点を結びそうなのである。


 教師問題が総合的に注目されるであろう要因はいくつかある。まずもって昨今の教師不祥事に関する報道の増加は,この問題への世論の注目を集めている。その乱暴な報道姿勢にはいくらも疑問の余地があるものの,いよいよ真正面から取り組むべきであることを示唆している点で間違いはない。この問題を捉えるためにも教師という職業を理解しなければならない。
 次の要因としては,市民による学校運営へ関与する機会や義務が増えたことだ。学校評議員制度の導入もその一端であるし,「開かれた学校」を目指すため行なわれる情報公開の流れなどもあり,教師たちの職場への理解が前提とされる状況が増え始めている。これまで,どこか人々の記憶による勝手なイメージで描かれた学校や職員室の現場について,もっとリアルな情報が求められている。
 税金による教育費の問題も教師問題へ誘う要因となるだろう。教育費のほとんどが教師の人件費であることを考えれば,その採用,研修,職務評価,といった人事制度や就業規則などの在り方,コストについて考えざるを得ない。ところが,教育職に関するこの手の情報は法律として公開されているだけに,逆に,かみ砕いてわかりやすい形で一般に流布されることがあまりない。もっとも一般企業の情報も十分知られているとはいえないが‥‥。
 もっとも教師問題がクローズアップされたところで,他の職業のことに心を砕き,真剣に検討する時間を確保するのは,今日の私たちにとってとても難しいことだ。それだけに問題の報道のされ方が重要になってくる。粗雑な煽り報道が極力なくなることを期待しよう。