911

 日本の私たちが8月に特別な時間を過ごすように,米国も9月のこの日を迎えた。時が過ぎ,あの日は歴史の彼方に向かってどんどん遠ざかるけれど,21世紀の最初に起こった事件も私たちは常に思い起こす必要があるだろう。

 いま,私たちは日本の教育にデジタル・情報機器を持ち込むことを本格化させようとしているし,私自身もその仕事に関わっている。

 なぜ,そのことが重要な意味を持ち得るのか。

 その理由の一つは,私たちの「歴史の語り」が取り得る様態の中で,情報機器,特にインターネットは不可欠であるというものだ。

 米国のINTERNET ARCHIVEが公開しているこのSep. 11特集ページを見ても分かるように,過去の情報とそれを伝えた媒体が私たちの歴史の一角を形成している。

 つまり,私たちが自分たち自身の存在を歴史性を踏まえて誠実に語りうるように自らの社会を構成していくためには,教育の現場にこうした媒体(先に述べたデジタル・情報技術)をしっかりと根付かせていくことは必要不可欠なのである。

 付け加えて言えば,それは自らの歴史というだけでなく,関係性の中で,他者の歴史と向かい合うためにも必要であるし,また,こうした考え方を正しく認識するなら,従来の印刷技術による書物といった媒体もこれまでと同様に重視されなくてはならない(つまり,アナログとデジタルを排他関係に持ち込むような捉え方は意味が無い)ことも了解されなくてはならない。

 過去にアクセスするための手段や身体性を現在において堅持しつつ,ともに未来に開かれた社会を構築していくことを了解し合えるプラットフォームに立たなくては,残りの21世紀とその先の未来に希望を渡していくことができないのではないか。

 私は,翌年訪れたグラウンド・ゼロの光景を思い出しながら,今年もそんな風に考えてみたりする。