大学院生になろうと大学教員を辞めて,東京にやってきたから,私の日々も取り巻く人間関係は(当然)変っている。そのこと自体は望んだことであるし,場から中空に浮くことも物心ついたときから慣れていることなので,苦しみながらも楽しんでいるといったところである。
むしろ気がかりなことは,その事を(あくまで)きっかけとして,この頃の私自身が駄文から遠ざかっていることだった。理由になりそうなものは,いくらでもある。
毎日が慌ただしく,ブログの書き込み画面を開いて長時間にらめっこしている時間がないとか。世の中の動きにうんざりして,駄文を書く気が起きないとか。積み残しの仕事や課題を後回しにして駄文を書いていると罪悪感を感じるとか。
まあ,とにかく人生の中で最も早回しの日々を送っているのは確かなことで,「ひとりよがり」になることさえままならなかったのである。
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整理する整理すると繰り返し書きながら,この十数年の教育らくがき駄文を見直すことはして来れなかった。私は駄文を書き散らした人間として,自分の過去の駄文にある程度責任を持たざるを得ないが,その本人にしても,いかに自分の駄文が(いま振り返る地点からすれば)無責任なものであるのか,認めざるを得ないものが幾つかある。
いまはちょうど参院選挙の時期で,候補者達を非難批判するために過去のブログの発言を探し出して失態をあげつらう動きもあちこち見受けられる。ブログというメディアを持つことが「忘却との別れ」を受け容れざるを得ないということに人々は少しずつ気がつき始めているが,まだその恐ろしさを味わう立場にないという点では十何年駄文を書いている私とて変わりはしない。あなたの悪意(もしくは正義)が私に向けられた場合,私の過去の駄文達は,いくらも私自身を苦しめて,私自身を失脚させることも不可能ではない。少なくともそのための材料を豊富に提供するのだ。(いまは懇意で一緒に仕事をしてくださる方々に対しても,私の旧い駄文は生意気な口をきいていたりする。ええ,人生とはそんな気まずい悪戯を仕掛けてくるのだ。)
駄文のデータがネット上に拡散してしまった以上,今さら「消す」行為に実効力はないが,それでもオリジナルを消すことが「本人の姿勢」の表現として重要であることも,選択肢の一つとして確保されなければならない。そうなれば当然,「消さない」ことにも何かしらの姿勢が込められることになる。そこがこういう表現手段に手を出してしまうことのリスクというか重さなのだ。(完全ではないとしても)ネットを匿名的に使うことの必要性は,こんなところにもあるのかも知れない。
悲しいかな私の場合,匿名にするにはもう手遅れだし,駄文の調子は指紋のように個人を特定し得るから,もはやネット上のどこに何を書こうが,私自身から逃れられない。場合によっては他人の書いた私らしい偽文の責任さえかぶるのだろう。
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ああ,インターネットで駄文を書くことが,これほどまでにも暗い波長の未来につながっているなんて,どうして思い描く必要があるのだろう。
それは私があらためて「ひとりよがり」したいがための心の整理なのだ。
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あなたは自分自身のついて,仕事に就くまでや仕事に就いている間や仕事を辞めたあと,そして何の保証もないのに新しいことを始めようとしているときに,どれほど周りの人々の存在が直接にも間接的にも自分を支えてくれたかを想像できるだろうか。私は,ほんの一瞬でもそれを思い描けたとき(ただ,それはすぐに消え去るほど一瞬)に,身震いというか,寒気というか,自分の浅はかさに永遠を掛け合わせたと表現するような感覚に襲われるのだ。
その一瞬を踏まえて,私はもの凄く周りの人々に感謝したいのだが,どうも感謝の仕方が一辺倒で,簡単に言えば「下手」なのである。そのうち「ありがとうございます」も「感謝します」の言葉も,自分から発せられるものが「棒読み」に思えてきて,もう詰まるところ「沈黙は感謝なり」で済ませたくなってしまうのである。
あなたが女性なら「そんなこと信じられない」「感謝はどんな風でも表すべき」あるいは「してほしい」と直感でお答えになるのかも知れないが,男という生き物は斯様な思考に陥ると,なかなかそこから抜けられないのだ。
というわけで,なぜ私が駄文を書きづらくなっているのかという,長い長い理由説明が続いているわけなのだが,きっと私はすでに「遠慮」という域を超えて,自分がなるべきではないと思っていたミイラにでもなっているのじゃないかと,そろそろ思い始めたりしているのである。
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せめて私は駄文の上くらい「嫌な野郎」になる覚悟で書かないといけないなと思う。駄文を書く私という人格は,私の一部ではあっても,私そのものではない。物静かにニコニコ微笑む私をお望みならば,実際の私の会うことにしていただいて,せめて駄文は「ひとりよがり」な私を発揮させていただければと思うのである。
どうぞ、思う存分ひとりよがりでいいんじゃないですか。