皐月2日目

 GWの前半は実家に帰省。必要な書類や蔵書を東京に持っていく準備をした。休むときは休もうということで,それ以外の時間はボーッと実家で過ごした。本当にボーッとした。そしてちょっと買い物した。
 蔵書分散問題はしばらく悩み続けそうだ。大学に図書館があるとはいうものの,使いでのある文献は取り合い状態だったりもするし,手持ちに常備できる利便性には敵わない。もっとも「本に振り回されてる」と言ったのは,蔵書に埋もれて見るに堪えない部屋の惨状を呆れる母親。本当のことはいつでも耳が痛い。

 前の職場から同窓会報が送られてきていた。依頼されて書いた原稿が掲載されている。私もすっかり過去の人扱い。辞めて,東京で大学院生をしているなんて,卒業生達が読んだらビックリしているに違いない。サプライズ,サプライズ。
 もはや教え子達と再会する機会はないが,同じ時代に生きている限り,元気で頑張っていて欲しいと思う。それが教育に携わる人間が最後に拠り所とする心情だ。

 段ボールでいくらかの蔵書を郵送し,手持ちであれこれ抱えて東京に戻った。GWの平日だから名古屋の地下鉄は学校帰りの学生で溢れ,新幹線の到着した東京駅には明日からの連休後半に帰省する人々の人集り,山手線は会社帰りの人々でごった返していた。どれにも属さずに土地を移動するのは不思議な気分になる。
 いくつもの現実を眺め,それぞれに想像をめぐらし,生き方の多様性を尊重していくこと。そこには厳しさと同時に生きやすさがあらねばならないと思う。私たちの携わる教育はそれを指向しているだろうか。それに耐えうる施策を打ち出しているのだろうか。税源移譲に代表される地方分権の流れの中で,その事は共有されているだろうか。あるいは共有できるのだろうか。
 自分が取組むべき事柄の前提をどこに設定すべきか。迷いに迷うGWである。