時代はずれで

 先日,研究会後の懇親会で若き教育学学徒とやりとりする機会があった。私より何倍もスマート(賢い)人達だから,そうした人達が活躍するのをアシストできるくらいに私も頑張りたいと考えている。もっとも,アシストする方がよっぽど難しいかも知れないが…。
 彼らと話して驚いたことがある。ある意味,ピュアなんだな。人生に疲れていないというか。理想と現実となら,まだ理想だけを見続けても,躊躇いが起こらないというか…。
 それは教育を語ろうとする人々には,多かれ少なかれ潜在するのかも知れない。私だって,結構一途である(何に?)。
 それでも私の場合,駄文を書くフェーズや思索に入り込むと,批判だけする自分も登場させるし,深読みする自分も現れるし,細かな心情を想像しようとする自分も呼び出すし,奇想天外でマッドな発想をする自分も試みたりする。
 あんまり登場人物が多くなりすぎて,ごちゃごちゃしているものだから,普段の私は,静かに微笑んで周囲の意見を聞く「聞き役に徹する」ことにしている。たまに考え事して聞き逃しちゃってるけど,ははは…。

 情報教育というのは,世間で扱われる「情報」一般について様々学ぶ領域である。ところが,教育現場では,情報教育というと「パソコンを使わせる授業」であると想像されがちである。まるっきり間違いではないが,正しくもない,というのが情報教育分野でのメインストリームである。
 要するに「周回遅れ的な認識」が依然存在しているということである。教育の世界には,結構この「周回遅れ」というのがあったりする。学習指導要領の改訂スパンが長かった時代もあるので,その名残みたいなものだ。

 近日中に記事がWeb公開されるが,「FACTA」誌3月号に「パソコンを見放す20代「下流」携帯族」という記事が掲載された(ちなみにFACTA誌は年間購読の直販雑誌だが,いくつかの書店には置いてある)。
 この記事は,調査会社ネットレイティングスが昨年公表した「ウェブ利用者の年齢構成」リサーチに基づいて,「第二デジタル・デバイドの出現」について解説を試みた記事である。要するに2000年から2006年の6年間で,PCからウェブを利用する20代が右肩下がりで減少しているというのである。
 この調査結果をもとに,記事は「PCイリテラシー(文盲)層」の増加が社会常識に大きな断層を生じさせる可能性を憂うのである。もちろん,こうしたネガティブ論調の記事には一定の距離を置くリテラシーが私たちに求められる。それでも,当該リサーチの世代構成比グラフの変化について考えることは興味深い思索である。

 当該調査において6年間,「19歳以下」というカテゴリーは一定の構成比を保っており,その他の世代カテゴリーも細かい増減はあれ,際立った変化は示していない。「20歳代」だけが顕著に減少している。
 こう考えると,19歳以下が保たれているのは,学校教育で「パソコンを使わせる授業」が周回遅れで残っていることが貢献しているのかも知れない。そうした環境から解き放たれた若者は,携帯で事足れりとPCを捨てるのかも知れない。
 そこから30代になると,仕事上の必要性が発生して比率が増すのかどうか。残念ながら6年間という調査スパンのデータではそこまで推論を延長することは出来ない。もし今後の調査で30代の比率も緩やかに減少していくとしたら,憂うべき事態が進行していることを本気で考えなければならないかも知れない。

 同記事は,先月話題になったアップル社のiPhoneというスマートフォン(高性能携帯電話)について触れ,今後ますます携帯電話や端末で事足れりという状況が来ることを示唆している。
 情報教育分野の一部では「携帯電話の教育利用」や「携帯モラル」について取り組んでいるものの,周回遅れの教育現場にとってはまだ先の話といったところもある。
 ただ,もしかしたらこの周回遅れ的な現実が,若者のPC離れを食い止めることになるやも知れない。教員向けの校務用パソコンの配布が周回遅れで遅くなったおかげでVistaから始められた(XPからのアップグレード問題で悩まなくてよかった)のと同じで,「情報教育でパソコンを使わなきゃ!」という周回遅れ的な現場対応が奏功するやも知れない。

 同じく年間購読型雑誌で「フォーサイト」誌がある。こちらの3月号にはノーベル賞受賞で知られる小柴昌俊氏のインタビューが掲載されている。からかい半分とはいえ,「「ゆとり教育」なんて,教育学者が頭の中で考えただけの,馬鹿げたことだ。」と述べたことは極めて遺憾だ。
 こうやって教育学に携わる者の存在を貶める言葉を「ノーベル賞学者」がメディアに掲載させることを許すのだから,どうかしている。同じ「ノーベル賞学者」がやっている教育ナンチャラ会議の迷走ぶりについて,何かお言葉はないものかね。いい加減にして欲しいものである。
 若き学徒達は,こういう貶めについて,まだまだウブである。一方私たちは,次第に鈍感になったり,立場上文句は言わない大人の対応をするようになっていく。ったく,どうなってんだろう。

 ごめんね,時代はずれで。