「月刊ascii」03月号の第2特集は「落ちこぼれより深刻,『吹きこぼれ』」。学力の高い生徒に対して学校の授業が応えられず,不満を抱かせたり,ドロップアウトさせたりしてしまう状況を指す言葉らしい。
いやはや,今回もお恥ずかしい話だが,この「吹きこぼれ」もしくは「浮きこぼれ」と呼ばれてきたらしい言葉は初耳である。現象自体はお馴染みだったのだが,こんな名前がついて呼ばれていたとは,今回初めて意識した次第である。
けれども,私だって可能な限りあちこちの教育文献・資料を渉猟しているつもりの人間である。なのに「浮きこぼれ」という言葉が活字として強く意識されたのが初めてとは,ちょっとどうなっているのだろうか。
インターネット上の百科事典として有名なウィキペディア(→浮きこぼれ)によれば,学校用語だと解説されている。それ以外も「浮きこぼれ」という言葉で検索してみたが,どこもかしこもウィキペディアが引用もとになっている状態。ちらほらどこかの論考原稿に掲載されたような記録も見つかるが,大々的に文字になっている言葉ではないようにみえる。
いったい「浮きこぼれ」という言葉の出所はどこだろうか。 「落ちこぼれ」の対語という説明を勘案すれば,誰でも言えそうな言葉なので,どこかの校長先生か,指導主事か,教育長なんかが使った言葉が歩き出してしまったのかも知れない。「ゆとり教育」という言葉も正直なところ,曖昧なまま歩いているし…。
本日は文部科学省委託事業である「教育の情報化の推進に資する研究」の成果発表フォーラムがあった。昨年3月に行なわれたものの続きである。昨年の内容についてかなり辛口で厳しく駄文を書いたが,今年はそれもあってわりとニュートラルな気持ちで聞いていた。別駄文として詳しく書くことにしよう。