ハワイでてんやわんや過しているうちに,日本では「教育再生会議」が総理官邸で初会合を持ったという。17人の委員の顔ぶれについて,各メディアはいろいろ報じている。珍しいほどの報道量だ。
安倍内閣の組閣時もそうだったが,今回の人選についても,各メディアのいうところでは,方向性がはっきりしないとか,各方面に気を遣った結果だとか,バランスはいいが意見集約は難しそうだとか,評価はいろいろ。つまり「こんなんで美しい国なんて実現できるのか?」という素朴な疑問を提示している。
ただ,思うにこれこそが日本元来の「根回し文化」や「気遣い文化」というものの結果である。こうした各方面のことを気にする少々弱腰ともとれる周囲への配慮が現代の人々に欠けているのだ,という首相の強いメッセージかも知れない。
もっともそんな皮肉を言えば済む時代でなくなったのが悲しいところ。これだけの報道量に象徴されるように,人々は教育の分野にもある種のサプライズを期待し,カタルシスを得ようとしている。そもそもそんな状況の中で教育の再生を議論していくためには,教育再生会議からの情報発信に,ある種の戦略がなければならないことを意味している。
教育再生会議が成功するために,会議がもたらさなければならないものは何だろうか。
・大衆のカタルシスの実現
→これは避けて通れない。教育再生という本筋とはかけ離れたこととはいえ,何かしらのインパクトは必要になっているのがこのご時世である。まして教育を死んだと表現するなら,永続的にマッサージするか,瞬間的にショックを加えるか,これらを組み合わせるしか方法がない。
・論点の切り捨てと焦点化
→早いうちに話題に上っている様々な主題に優先順位をつけて整理して,多くをばっさり切り捨てるべきである。その場合には,GTDという仕事術が参考になる(→はじめてのGTD)。教育に関して国がやらなければならない事柄を全て書き出して,出来ることの中からやるべきことを実行するということだ。書き出す際には,あれもこれもという事態になるが,実はすでに教育行政が手をつけて動かしているものの中にも大事なものがあることが分かったり,それを徹底化することで教育の再生に繋がるものも見つけられるかも知れない。
つまり単に真新しいものでビックリさせるのではなくて,これまでの地道な努力をグッと拾い上げて主役にしてしまうような,そんな焦点化もあり得る。そうすることで,「また勝手なことを17人が語って,結論も新しいことブチ上げた割りには,妥協の産物で終わる」というおおよその人々が抱く予想を良い意味で裏切ることができるかも知れない。
いずれにしろアウトプットはシンプルでなければならない。17個も提案したいつぞやの会議は多すぎた。ん?17は不吉な数字だ。3つでも多いくらいである。数打ちゃ実現するやり方は逆効果だ。
・条件整備の基本に戻る
→前項とも関係するが,国が出来ることは条件整備である,という基本に戻った方がいい。高い学力とか規範意識とかを議論することには抑制的でありたい。所詮17人のそれをいくら組み合わせても国民が納得するものは無理。委員の中に小泉前首相ほどの劇場役者がいるなら,その人の考えで魅了させることも可能かも知れないが,さてどうか。ワタミの社長さんはメディア受けがいいけど,教育議論との相性がいいかどうかは今のところ分からない。
とにかく,条件整備。ただし,教育基本法改正はまた別格のこと。教員免許更新制の実現は,教育再生会議前からの既定事項であるから,いまさらそれを会議の議題にされても何も有り難くない。教員養成機関や教師教育・研修に関連する事柄にバーンと予算措置を約束してくれた方がいい。更新制でダメ教師を切り落とすなら,どんどん良い教師も養成していくという循環システムを確立するくらいの覚悟でやってくれなきゃ,これもまた何も変えられない。(個人的には義務教育費全額国庫負担なんかのサプライズも悪くないかなと思う。でも年金もらう団塊の世代には嬉しくないか…。)
ここでたくさん書いても墓穴を掘るだけだし,書いているとハワイの夜も明けて,私は帰国のためチェックアウトしなければならないので,ここまで。もちろん私は勝算があって書いているわけではないのはいつもの通り。けれども,たぶん,うまくいくためには,マスコミ・メディアの人達をうまく操って,何か良い循環が始まることを印象づけていかなくてはならない。
この駄文で書きたかったことは,困ったこととはいえ,人々が空気によって左右されているということ。教育再生会議はその空気を相手にしており,うまく流れを作っていくことが使命なのである。だとすれば,個々の委員が勝手なことを言っているという現在地点は決して悪くない。むしろ,会議の空気が良い空気に変わる過程そのものに,人々を巻き込んでいくという戦略が必要なのである。だからこそマスコミ・メディア,もしくはインターネットはそこをつなぐ大事な存在であり,パートナーとしてうまく協調していかなくてはならない。もしもそれを「2.0」と呼びたければ,「教育再生会議2.0」目指してみればいいと思うのである。まあ,自分で呼んじゃいけないんだけどね。