W先輩が出張先から東京経由で帰路につくらしく,久しぶりに会わないかと連絡をいただいた。私が上京してからは初めてになる。職の有無が逆になったりして,人生の変遷というのは面白い。
近況を報告し,まもなく大学院試験が始まることを伝える。いつもの通り,励ましとアドバイスをもらう。かつての大学院での経験についてもお話が及ぶ。大学院教育の世界にもあれこれ事情があって,大学院毎に気質や雰囲気に違いがある。もちろん基本的には,大学院生本人の努力がものを言うことには変わりない。けれども実際には,院生内に後輩への指導文化はあるのか,共同研究をする伝統はあるのか,放任型か管理型か等といった大学院風土が大きな影響をもたらす。
ここで恥ずかしげもなく駄文を書き続けているのをご覧になって分かるように,私は十分な訓練を受けたタイプとは言えない。そのことをW先輩も繰り返し指摘してくれる。いろいろ事情もあって師匠が不在がちだったことをいいことに,私も自己流で好き勝手に本を読んでいただけで終わった2年間の大学院生活だった(もっともそのこと自体は感謝しているし,よい経験だったと信じている)。
そんなわけでW先輩も,私が大学院に入り直そうとすることには賛成。年齢的にはギリギリだろうと懸念される事柄や困難はズバズバと指摘されたが,それも心配しているからこそのエールである。批判されるのは慣れているが,褒められるのには慣れていないので,これくらいがちょうどいいのである。
(余計なことを書くと,他者の批判や問いにセンシティブになるべきかどうかの問題は難しい。悩み多き人生に慣れているかどうかという人間性も関係するためだ。むしろ怖いのは,自己批判や問いの無限後退へと陥ることだと思う。もっとも,最近の人たちは悩まなさすぎにも見える。そう思えるときは,もっとセンシティブになれよと言いたくなる。ああ,浅はかな私,やっぱり研究者に向かんのだろうか ^_^; )
東京の街についてや住み方アドバイス,短大や大学経営の世間話をしながら東京モノレールに揺られて,東京駅まで先輩を送る。「けど,おまえは運がいい方だよ」と言われ,素直に同意した。自分で職を辞して勝手に上京したのに,こうして忙しく活動できるのはラッキーである。
もっとじっくり本を読んだ方がいい,いずれ海外へ勉強しに行った方がいい,とすべきことは多い。正直なところ,慌ただしさにかまけて,基本的な勉学努力を怠っていることも事実である。欲張りな割りには力の無い自分をどこかで調整しなければならないのだが,まあ,悪あがきをするしかないとも思う。
東京駅にてW先輩と待ち合わせている人物を探す。話の感じから高齢の男性を思い描いていたのだが,実際に現れたのは先輩と同じ世代の女性だった。そこでバトンタッチ。年内にまたお会いする約束をして先輩と別れた。
それから銀座の伊東屋に初めて出かけた。東京で一番大きい文具店は「伊東屋」らしい。時季外れだが手帳を新しく購入したかったからである。前途多難,暗中模索な私自身の先行きを少しでも見通し明るくするためだ。これについてはまた改めて熱く語ってみよう。