実家で取っている朝日新聞夕刊に「ゼロ・トレランス」をテーマとした3人の見識者私論が掲載された。リンクからウィキペディアの解説をご覧になれば概要が掴めると思うが,要するに徹底した管理と規則違反に対する懲罰の姿勢を貫くことを基本とした指導方式のことである。ドラマ「女王の教室」の風景は,戯画化したゼロトレランス方式の模様なのかも知れない。もちろん冗談である。
教員組織が意識を共有したうえで一体となり,首尾一貫した指導方針に則って足並みをそろえるということが,今のご時世難しくなっている。それを上意下達によって蘇らせようとした試みを「ゼロ・トレランス方式」と呼ぶわけだが,銃や麻薬に蝕まれる危機に直面しているアメリカで試みられたそれを,日本の文脈に引き寄せたとき,また受け入れられ方も異なるのだろう。
「頑固じじいや業突ばばあがいなくなったことが世間の秩序を乱した」と唄ったのはさだまさしだったが,価値観を相対化したり多様化するのに長けていること自体は誇ってもよいことだと思う。ところが,その広がりに追いつくどころか,すっかり取り残されてしまったのが少し前の日本の学校だったし,おかげで同時代に対峙できる教育指導の理念を現場で醸成させる機会を逸してしまったのであるから,いまや宿題の分量を決めるのにも保護者の顔色をうかがう始末だ。親の方が教師に対してよっぽど「ゼロ・トレランス(不寛容)」なのである。
さてと,なんだかんだと名古屋に長居している。ダンボール6箱の書籍を郵便局まで運んで,東京に送る。本ばっかりに頼っても仕方ないが,本に拠らないのも困った話で,少なくとも独り者の話し相手としては必要不可欠なのである。明日戻ろう。