企画助言の仕事を終えて,ご一緒している先生と渋谷で昼食を取った。それからNHKまで連れて行ってもらって,スタジオパークを見学した。国会中継のために「スタジオパークからこんにちは」の放送はなかったが,おかげで入場者も多くなく,のんびりと見学できた。スタジオでは,「功名が辻」と「おかあさんといっしょ」の収録が行なわれていた。でも仲間由紀恵を直接見ることは出来なかった,残念。
かつてはNHKで働きたいと思ったことがあった。漠然とテレビ局で働きたいという思いでしかなかったので,アナウンサーとかカメラマンとか,仕事の種類関係なくいろいろやってみたかった。現在の実情がどうあれ,かつてNHKの番組は,僕らを楽しませてくれたし,様々なものを画面を通して見せてくれる仕事に憧れさえ抱いたのである。
スタジオパークに展示されたラジオとテレビの歴史と,NHKアーカイブスから選ばれた主な放送番組の歴史を振り返ると,ほんの少しだけ,当時の憧れを思い出す。何故だろうと考えてみると,そこに映る人の存在を想うからではないかと気づいた。さらにいえば,画面に映ってはいないけれども,その画面から伝わる作り手の気持ちのようなものを感じるからではないか。
昔に比べれば,番組の映像技術も演出技法も高度化し,過去の番組映像は古くさく感じるのも確かである。そうやって(限られた範囲だけれども)過去と現在を比較できる立場にいる人間として抱く感情は,特別なものかも知れず,それが普遍化できるわけではないかも知れないが,「見せ方が上手くなった分,感じさせるものが貧しくなった」という気がしないでもないのである。
何もかもを「見える化」して明示していくことは,伝達においては必要不可欠なのかも知れないが,「見えない世界を見る」ための能力の育成方法としては限界を持っているようにも思うのだ。というよりも,「やりすぎ」なのかも知れない。
(追記:20060608)—
こう書いてみたものの,本心とはずれているようにも思う。私だって見せ方上手なリッチコンテンツ大好きだからだ。要するに,私の感受性が弱まってしまったか,あまりに重厚な画面づくりに意識がいきすぎて,本来画面から読み取るべき内容を読み取れないか,作り手の気持ちや心意気を感じとることが出来なくなってきたか。あるいは,作り手の方もそうした見せ方の技術的なところにエネルギーを注ぎすぎてしまうアンバランスな状態にあるのではないか,といった根拠のない危惧なのだと思う。
少し違う例で考えるとすれば,教科書の分量に関する議論で考えることが出来る。見せることにこだわって,デザインを改善し,分量を制限し,全体的に取っ付きやすさを増した教科書。しかし一方で,分量の少なさが知識の少なさを招き,より深い学習や複雑な問題からの距離を大きくしてしまったとも指摘される。学校教育で触れさせる学習情報の絶対的な量が貧しくなったために,子どもの理解の多様性を封じ込めているのではないかとも考えられている。
結局,一つで全てを満たすことは出来ないのだから,組み合わせの選択肢を用意して活用する環境や条件をつくるしかない。とはいえ,選択という環境条件は,選択主体の芯をどうするかという,とっても大きな問題を掘り起こしてしまうのだけど。
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その文脈において,どう解釈していけばよいのか,まだ考えらしい考えもないのだが,ここのところ911テロの周辺を描いた映画が登場している。「United 93」はハイジャックされた飛行機の出来事をドキュメント風に扱った映画だと聞いている。あの事件を映画で扱うのはまだ早すぎるのではないかという議論も起こったそうだが,事件の記憶を風化させてはならないという遺族たちの思いに後押しされているとも聞く。最近になってもう一つ出てきたのが,ハリウッド的にアレンジされたと思える映画「World Trade Center」である。オリバー・ストーンとニコラス・ケイジが組んだ実話映画化作品。予告編を見るだけで少し感傷的になるのは,これが実話だからなのか,ハリウッドによる映画化のせいなのか,正直戸惑いを感じる。たぶん後者なんだろう。だから,またこの映画に関しても議論が巻き起こるかも知れないし,それでも事件当日に勇敢にも現場に立ち向かっていった警察や消防士たちの活躍という実話のもとで,映画の結末次第では,もしかしたら何かまた違った影響を与えるかも知れない。
カリキュラムを考えるということは,世界を考え,見えない世界を見ようとする行為のことである。そのことは(大文字過ぎるとしても),すでにわかっていることなのだ。それを実際の私たちの生活に据えようとする(桁を下げるとか,ブレークダウンするとか,言い方は何でも結構だが…)とき,どんな実際行為として具体化し,そのための環境をどのように構成していくのか。そのことについて,想像力を働かさなければならない。
見えない世界を見る
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