職場での仕事を早々に済ませ,東京に出かけた。とある公開研究会に出席するためだ。研究会催しの告知がある度に,参加したいと予定を調整するのだが,授業やら校務などとぶつかって,結局参加できないことが多かった。
研究に携わる上では,やはり他者とのコミュニケーションも必要だ。多くの人の関心がどの辺にあるのか,別の立場での見方はないか,自分の考えている問題意識は妥当かどうかなどを確かめるには,研究会という場でやりとりしてみなければわからないものである。
私が住む東海圏だって,もちろん様々な研究会が催されている。ただ,私の関心を引くものは圧倒的に東京で催されることが多い。学生時代だと,時間はあれど東京へ行く資金がなかった。社会人になると,資金はあれど,時間がなくなった。しかし幸い,時間は調整ができる部分もある。なるべくそういう研究会に参加したいというのが私のモットーだ。
そして今回参加したのはLearning bar@Todai「未来の教科書はどうなるの!?」という公開研究会だ。東京大学の中原さんら情報学環BEAT講座が催してくれていて,ざっくばらんにテーマに関する最新動向を知り,意見交換しましょうという趣旨の研究会だ。開始時刻も夜7時から。夕方早くに名古屋を出れば,間に合う時間だ。
今回の講師は,書籍の取次会社である日販の経営戦略課で活躍されている常盤さん。若手ホープって感じの人だ。そしてプレゼンのテーマは「モバイルするグーテンベルグ!?/電子書籍マーケットの現状と今後の展望」である。
彼が説明するには,電子書籍市場は一般の印刷出版市場と比較しても1%に満たない規模しかなく,まだまだ未開拓の市場という感じらしい。それは刊行タイトル数にも現われているし,書籍の電子化や利用者の動向にも未成熟さが見え隠れしている。
しかし,熱を入れているところの入れ込み具合はなかなかで,たとえば二大家電メーカーの松下とソニーは,それぞれ電子書籍専用端末を開発して売り出しているし,意見交換の中ではシャープも古くから自社のPDAに向けて電子書籍に取り組んでいることも取り上げられた。
ところが,努力のわりには成果がパッとしない。専用端末の販売台数も伸びていない。そしてこれは何も専用端末だけではなく,パソコン向けや携帯電話向けの電子書籍でも似たり寄ったりみたいなのである。
研究会の議論は,ざっくばらんな雰囲気も手伝って,どんなテーマや内容のものが電子書籍になるのか,どれが売れるのか,読みやすさはどうか,電子書籍販売サイトの乱立,電子書籍フォーマットの乱立,著作権処理,ケータイでマンガを読むことなど,実に様々な方面に話が広がった。
それはそれで刺激的ではあったが,どうもこの話には出口が見えてこない。どうやら電子書籍というテーマ設定だと,様々な問題系が混在してしまうようだった。テーマの切り口は,書籍文化の変化という文脈もあり得るし,書籍販売という文脈もあるし,あるいは教育的な文脈から情報伝達手段を考えるといったこともあり得た。研究会の場に,ある意味そのまま,電子書籍事情の有り様が投影された形になったのかも知れない。
さてしかし,常盤さんのプレゼンを,配付された資料をもとに,当初の意図を汲んで再構成すると,電子書籍の現在は次のような感じではないかと思う。
まず,電子書籍には,読書環境に対応する形で3つのセグメントに分けることができる。「パソコン(PC)」「PDA/電子書籍専用端末」「携帯電話(モバイル)」の3つである。
・「パソコン」における電子書籍は,パソコン通信時代のオンラインマガジンといったものから始まり,フロッピーやCD-ROMを使ったものなどが出てくる。Apple社のHyperCardやボイジャー社のT-Timeとか懐かしいソフトウェアが活躍した時代もあった。そしてインターネットがやってきて,PDFやら何やらのフォーマットで読むようになっている。この分野で老舗の電子書籍販売サイトがパピレスだという。
・「PDA/電子書籍専用端末」における電子書籍は,話によるとシャープ社が早くから取り組んでいたようだ。XMDFという電子書籍フォーマットを用意し,文章だけでなく,図や音声や動画も一緒に楽しめるという。現在ではシャープのPDA「Zaurus」以外にもPocketPCやPalm,パソコンでも見られる形式になっている。
シャープがやっているならうちもと思ったのか,松下やソニーが専用端末をつくる形で参戦。松下電器は「Σ Book」,ソニーは「LIBRIe」と端末をつくり,それぞれで書籍販売サイトを立ち上げている。もちろん互換性はないと思われる。そして売れてない。
・「携帯電話」における電子書籍になると,今度は携帯電話会社も巻き込んで,市場のブレイクをねらっているようだ。専用端末よりも遥かに普及しているし,課金システムが進んでいるので,大変な有望株というわけである。何よりも2003年に通信料金定額制が導入され,コンテンツダウンロードの垣根が取り払われたことが大きい。
以上,端末によって分けられる大きなセグメント。どれもそれなりの経歴があるにもかかわらず,うまくいってないし,あるいはこれからというムードなのである。うまくいってない理由を考えると,これからブレイクを目指すケータイにも暗雲は立ちこめる。果たして,大きな市場規模にならない原因は何なのか。それを考えると,技術的な側面と文化的な側面とビジネスの側面いう,これまた3つに分けられそうだ。
・技術的な問題は,言わずもがな,フォーマットの乱立と読書システムの問題である。これはビジネスの側面からの影響が強いのだと思うが,市場を囲い込むためか,自社のフォーマットに固執しているため,他社との互換性がない。逆に言えば,読みたい本が必ずしも自分の機械で読めるとは限らないという不都合が起こる。
私たちは未だかつて本を読むために,使っている機械が違うからという理由で読めなかった事態に遭遇したことがない。ゲームソフトの時もちょっとびっくりしたが,パソコンの先例があったので免疫はあっただろう。音楽にしても,カセットやCDやMDの種類のおかげで,なんとなくあきらめていた。でもさすがに本までとなると許せないかも知れない。そんな不自由な読書環境というかシステムを使うに値する魅力的な機能がそこにあるとも思えない。
・文化的な問題は,そういう風に本を機械で読むということ自体に対する私たちの習慣の問題。コンピュータソフトのマニュアルが電子化されるようになって,だいぶ慣れてきたという人もいれば,やはり紙に印刷をして読みたいと思う根強い慣習に従う人たちもいる。いや実際,文字を中心とした多量な情報を読む場合,できることなら紙がいい。私もそんな人間の一人だ。
話し合いの中で紹介されたのだが,とある親子科学教室で,教材資料をケータイで見てもらうという実践をしたそうだ。その実践の後,アンケートをしたら,子どもと親とで反応がまっぷたつになったらしい。子どもたちは紙の教科書などいらないと答え,親たちはぜひ紙の教科書が欲しいと答えたのだとか。
はたして,その子たちは,そのままの感覚を大人になってからも持ち続けるのだろうか。その辺については議論する時間がなかった。ただ,私は,少なくとも中高年より上の年代に成長したとき,身体的な変化(つまり老化)が,私たちを小さなディスプレイに向かわせることを難しくするのではないかと思うのである。
それに,文化的な側面を教育的なものと掛け合わせて考えるに,膨大な印刷図書への読書活動への誘いは,これまで以上に大事だと思う。すべてが電子化していない以上,印刷図書とも仲良くしなければいけない。これは私の個人的な考えだが,少なくともそのような事柄に関する議論を,電子書籍時代を迎えるに当たって頻繁にしなければならないと思う。
・ビジネスの側面は,率直にいって儲かるか儲からないかということ。実のところ,先ほどの「PDA/電子書籍専用端末」のセグメントは,明らかにiPodのビジネスモデルと酷似している。iPodを巡る音楽配信が大きな注目を集め,好調ぶりが伝えられる中で,なぜ同じビジネスモデルが書籍だと通用しないのか。
もちろん,文化的な問題が大きいとは思う。音楽と違って,本を機械で読む習慣がない。電車の中で読むにしても,新書や文庫の方が遥かに携帯性が高いし,扱いやすい。携帯電話で読むにしても,小さな画面で表現できるものの限界を考えると,やはり文庫などに負ける。このT-Timeトップページをごらんいただきたいのだが,ここまでしてどうしても読みたいものが私にはない。
というわけで,実は各社ともそういう現実があることを直感的にはわかっている。だから,パソコンにしてもPDAや専用端末にしても,希望を持って取り組んではみたものの,社運をかけてとまではいかない。
ただ,もう少しiPodをモデルとして考えてみると,日本の音楽配信サービスがiTunes Music Storeの到来前から営業していたにもかかわらず爆発的に広まらなかったことを思い出せる。もしかしたら,ビジネス的成功がもたらされないのは,市場プレイヤーたちの及び腰のせいだったかも知れない。どこかが本腰で取り組み,消費者に対して鮮明な電子書籍文化をプレゼンテーションできれば,もしやブレイクするかも知れない。
そこで,これからの市場であり,一番の有望株であるケータイにおいて,コンテンツ的にも売れるコミックを軸として展開する動きが急速に進展中らしい。ケータイコミック市場の成功に賭けて,すでに有力な会社が漫画家に直接コンタクトをとり,独占契約を次々と結んでいるという。
さらにここで問題系として,著作物と著作権に絡むものが登場してくるわけだ。研究会でも,自分がかつて書いた小説が絶版になり,その立場から電子書籍への可能性をコメントしていた人もいた。なにしろ電子書籍をつくるにもコストがかかる。過去の著作物を電子化するためには,データがあれば楽だが,データがなければ再入力する手間がかかる。さらに電子書籍向けの編集作業も必要だ。コミックとなると,コマごとに分割し,動きをつけ,場合によっては音やバイブレーションを組み合わせるという作品もある。そのような著作物の処理の問題も大きい。
そしてもちろん著作権の問題。この処理もやっかいなものはやっかいになる。
いやはや,電子書籍というテーマ一つとっても,これだけ多様になるとまとめるのが大変だ。講師をしてくださった常盤さんは,そういった様々な問題系を横目でにらみ,皆さんからの質疑応答にも答えながら,わかりやすくプレゼンをしてくれた。本当にお疲れ様でした。
ところで,教科書は電子書籍となるのか。その素朴な質問に対して,電子書籍版も作成されることが望ましい,と答えることになりそうだ。
研究会の議論を総合して感じたことは,不意に発生する図書内容参照の必要性や欲求に応える図書流通経路の選択肢としてならば,電子書籍は明らかにニーズがあるということだ。たとえばモバイルは「いつでもどこでも」がキーワードなのだが,それは「常時」と「ときたま」の2つのニーズへの対応力を表わしている。
音楽は願わくは「常時」楽しみたいかも知れない。それは「ながら」ができるからだ。でも書籍は「ときたま」である。読書は「ながら」が難しい。とすれば,「ときたま」読みたいに,いつでもどこでも対応するという意味でサービスを構成すべきである。オンデマンド出版と雑誌記事の部分販売等を組み合わせて,一つのサービスをデザインすれば,iPodモデルが成功するかも知れない。これはビジネスに関心のある皆さんへのヒントということで。
さて,教科書は,基本的に学校の勉強で使う場面では「常時」という使い方をする。言い方を変えれば,楽しむための読書ではないし,たまに参照する参考書ではないという意味でも,教科書との向き合い方は「常時」的なのだ。もちろん実際の付き合い方に多様性があることは,別の問題ね。
教科書は,扱いやすさからいって従来通り印刷書籍として存在すべきところもある。けれども,たとえば「教科書忘れちゃったぁ」とか,「三年生の時の教科書に載っていたことが見たいな,どこいったっけ」とか,「いま私たちの市町村の学校はどんな教科書を使っているのだろう」とかの「ときたま」のニーズに対して応える必要もある。その際,電子書籍としていつでも簡単に入手または閲覧できることは,とても大事なことだと思う。
研究会には,留学生の指導に関わる関係者も出席されていて,日本語学習の際に使用できる教材を電子書籍の形で提供したり入手できる可能性があるのかどうかを問題関心として持っていた。そのようなニーズに対しても,日本における検定教科書をすべて電子書籍課するように義務づけ,諸外国にも販売できるルートを確保することは積極的に展開すべきだと思う。そこにもビジネスチャンスはある。
さて,そんな思考も巡らしながら,とても有意義な研究会はあっという間に終わってしまった。時刻は9時30分。このあと講師役の常盤さんを囲んで懇親会が催されるとのことだった。お酒も本格的に酌み交わして,いろいろ教えて欲しいなぁと思ったのだが,残念ながら私は名古屋へ帰る人。新幹線,名古屋への最終は夜10時発のひかり号。もう東京駅へ向かわなくてはならない。たった2時間半の研究会参加だったけれど,何人かの人たちとも名刺交換し,大変興味深いお話を聞かせてもらったり,見せてもらったり,誘ってもらったり。本当に懇親会参加したかった。
ふらり寄り道した東京は,あてどがないと混沌としていて落ち着かないが,場所さえ間違えなければ実りの多いひとときが過ごせる,そんな場所でもあった。またやってこられたらと思う。