文献貧乏

 学会発表や研究会参加など,今年度に入ってから思い出したかのようにあれこれ研究活動の再起動をかけている。少々乱暴な振る舞いなのかも知れないが,そうでなければずるずると堕ちていくことになりかねない。なにより,新たな勉学の刺激は本来心地いいものである。その感覚を思い出すためにも立ち回らなければ。
 新しいことを勉強するには,それなりの出費も覚悟しなければならない。ここ数ヶ月は,手当たり次第に書籍を買い込んでいる。そのために家計は火の車。夏のボーナスでチャラになるのをひたすら待つ状態だ。扶養家族がいないのは唯一の救いか。
 ところで研究者には,研究費なるものがどこからか支給されるとお聞き及びの方々もいると思う。確かにそういうものが支給されるのであるが,ほとんど多くの場合,雀の涙のような金額で,1回出張に出掛けたりするだけで使い果たすという研究者も多い。そこで力のある研究者は,外部の機関が提供している研究補助金を獲得することで賄うのである。
 私は,所属している職場からいくらか研究費を支給してもらえる環境にある。その点では幸せなのだが,実は,購入する文献はほとんど自腹で購入していて,研究費を使っていない。いろいろ事情はあるのだが,文献資料を手元に置いて有効活用するためには,自らの所有物にするのが一番シンプルなのである。自分の行動範囲に適当な図書館施設がない場合は,特にそうだ。
 文献貧乏の日々。それでも積まれている書籍から受ける知的刺激は何物にも代え難い。そのような恒常的な知的刺激によって醸成したとき,様々な発想がもたらされる。でもお腹空いた,夕飯つくろう。