何のためにどう書くべきか

 私が手がけるホームページは,もちろん複数あるものの,専らこのweblogが書き込みの拠点。そろそろ10年目を迎えようかという,だらだら続いたwebサイトなのだが,それはそれはいろんな出来事が起こった10年だといえる。
 weblog ver.になったこともあり,新たな閲覧者も増えていることだし,このwebサイトが出来上がる経緯や私のスタンスについて,もう一度まとめて書くべきかなと思う。すでに何度かその試みをしているが,いまの立場で書けば,考えがまた違ってくるかも知れない。
 「教育らくがき」に書かれてきた駄文は,感情の起伏の激しさに連動してしまったものもあるし,単なる愚痴や文句もある。一方で,問いに真摯に向かい合うことを試みたものもあるし,発想や視点を変えて刺激を生み出そうとしたものもある。
 10年の内には,私の未熟さや至らなさから,誤解や迷惑をおかけしたこともあったし,議論に巻き込まれて振り回されたこともあった。まったく成長のみられない凡庸さも,あるいはご覧になっている皆さんにとって苛立ちの源だったかも知れない。私の八方美人さもまた,どうしようもない倦怠感を運んでいたのだろう。とにかく,それでも「教育らくがき」は不思議なポジションに収まったまま,いくらかの皆さんにこっそり楽しんでもらっていることも事実であり,それゆえに,私も率直であり続けたいと考えている。


 ただ,こうした駄文サイトやブログサイトが増え続ける中に,少数ではあるが,残念な使い方をされたものがある。今日,その一つを教えられて,がっくりきた。何のために書き,そしてどう書くかということについて,あまりに無頓着,あるいは無神経と思わざるを得なかった。
 私だってたまにゃ過激なことを書くし,冗談のつもりが誤解を生むことになった駄文も書いた。けれども,それと同程度に自分自身への懐疑や批判も素地として敷くべきと肝に銘じている。時間がずれても,そうしたフォローはしたいと考えている。
 だから,無責任なサイトやブログには,とても悲しい気持ちになる。
 そんなこともあって,もう一度自分自身のwebサイトや駄文について,考えをまとめなければならないと思う。個人情報保護法に代表される法的整備と,そうした問題への関心の高まりも背景となるし,なにより教育にかかわる人間として,表現活動に託す願いや及ぼす影響について,思いをめぐらせたい。