結末先にありき

 ご承知の通り,連日ニュースでは三位一体改革と呼ばれる税財政見直しに関連して,義務教育費の国庫負担金削減の話題が取り上げられている。日本全国の子どもたちが平等に教育を受ける権利を行使できるように整備されている義務教育制度を支えているのは,多くの教員であり,その教員の人件費を国と地方がそれぞれ半分ずつ負担することによって成立していた。
 全国どこで教育を受けても同じ教育水準を維持することが目指されていたことから,義務教育の内容について国(文部科学省)がリーダーシップをとり続けていたわけだが,時代が変わり,変化が目まぐるしい社会となって,小回りのきかない国の指導のもとでは教育も難しくなってきた。そこで,教員の給与を国からもらわない代わりに地方が払い,地方が自分の判断で義務教育を運営していくという考え方が広まってきたというのが,ここまでの大まかな流れ。
 だから,今ニュースで描かれている構図は,国庫負担金の削減案について,地方6団体(というのがあるらしい。知事会を始めとした地方についての代表団体)が出した地方案と国(各省庁)が出している案が対立して,調整が難航しているという風なのである。


 「義務教育費国庫負担金の削減」という事柄自体については,立場によって見解が異なっている。研究者,特に教育社会学の分野からは,全国一律の水準を維持すべき義務教育制度の崩壊が懸念されている。最近では,教員給与に関する先々の見積りを計算した研究から,改革議論で前提とされているよりも上昇することが判明するなど,単純に地方が負担すればいいという議論の見解を懸念する指摘も出てきている。
 一方で,税源の移譲に絡んで,その運用次第であると考える立場もあるようだ。諸外国の事例を見ると,財政を成り立たせるために大変巧妙というか,なるほどと思える税金徴収をしているものが多いことに気づく。地方毎に事情が異なり,人口数を考えるとそれでも難しい都道府県は出てくるかも知れないが,近隣都道府県で教育財政の融合をはかるとか,そういう大胆な覚悟くらいあってほしい。格差社会を生み出すことを望まないのであれば,都道府県毎に殻に閉じこもって「他所は知らん」とすべきでない。
 もっとも,残念ながら地方案なるものにそんな気概はない。そもそも国から「国庫負担金をいくら削減するから配分考えといてね」と言われて無理矢理つくった案である。文句の少なそうで一番目立つ義務教育費が真っ先に候補に挙がるのは必然的だったし,それが決まるまでに教育的見地からの真剣な討議があったわけでもない。知事会においては,反対の県もあったのに決まってしまったような案だ。それを「地方案」と呼んで,地方が考えたのだと見せているのである。政治家と地方6団体の狭間に置かれた文部科学省も,立場的には抵抗してみせる。文科大臣は,確かに地方巡業して義務教育費国庫負担金の重要性を説いてきた。けれども,結局は結末が先にあったのである。
 現時点で,文科省がさらなる見直し提案で勝負に勝つことになるのか,あるいは地方案が選択されるのか。まだわからない。
 さて,私たちの次元ではどんな変化が起こるだろう。義務教育費よりも国民健康保険の方が気になるという人々も多いかも知れない。削減されたからといって明日から先生が半分解雇されるという現実はやってこない(そうなった方が問題を把握しやすいと思うが,さすがにそういうところは日本らしくカバーされていく)。だから,削減でも問題ないといえなくもない。いつの間にか地方も教育費について最適化していくことによって,状況に適応してしまうだろう。
 しかし,地方毎に義務教育をどう運営していくのかという問題が,いよいよクローズアップされる。住民が地方の教育行政や個別の学校にどう関わるのかということが,今まで以上に重要になるし,求められてくる。このことは,住民が教育に関する知識をもち,意味あるように議論したり,その場を設けなければならないということである。教育学は,市民教育の分野に進出して,今まで以上に知識の普及と多元的なものの見方を提供する必要に迫られているのかも知れない。