それはフィルタリングの失敗

クレイ・シャーキー曰く「情報洪水などない。それはフィルタリングの失敗だ」
(シロクマ日報)
http://blogs.itmedia.co.jp/akihito/2009/08/post-a72f.html

 ものごとを端的に表現するのは難しいものです。「情報洪水ではない。それはフィルタリングの失敗だ」(It’s not information overload. It’s filter failure.)という言い方は,誰でも言えそうな表現ですが,これだけ取り出してバシッと掲げるのは容易いことではありません。

 情報過多とはフィルタリング失敗であり,フィルタリングのデザインを制していくことがデジタル・ネット時代には重要であるという指摘は,古くて新しい問題,つまりこれまでも別の顔して存在した問題が,新しい顔して再来したものだと考えることも出来ます。

 共通しているのは,情報統制の問題。異なっているのは,時代を経て,問題がパーソナルなレベルにより接近した点です。

 政治や教育の世界でも,どんな情報を隠し,どの情報を公表し,どんな情報を創造していくのか,という問題は常に社会的な行動に付随してきました。

 学習指導要領(基準教育課程)で何を扱うのかという問題も,教科書検定という一種のフィルタリングに関する議論です。教育内容が過剰なのか不足しているのか。学力問題とともに議論されていることはよく知られています。

 情報のデジタル化やネット利用の普及によって,このフィルタリングの必要性がパーソナルなレベルにまで降りてきたと考えることが出来ます。

 私個人を考えてみても,Web上に掲げた自己紹介や経歴はもちろんのこと,顔写真,メールアドレス,誕生年月,ブログに書く公私の出来事,個人的見解,Twitterに記録した行動と思いつきの断片などの情報が不特定多数がアクセスできる状態に置いてあり,これらは私の設定したフィルタリングの結果です。

 一般的に個人の情報は,初期状態として他者がアクセスできない状態にあり,必要があればフィルタリングを介して公開していくものと考えられていました。アクセスできない範囲がある程度確保されていたわけです。しかし,ネット時代においては,他者がアクセスできる可能性が高まって,積極的にフィルタリングを援用して個人の情報を守る必要も出てきたというわけです。たとえば,携帯電話のアドレス帳を覗き見られる可能性に対して,ロックをするのかしないのかという問題が発生するのも,広い意味でここに含まれます。

 シャーキー氏は「フィルタリング」の問題と表現しますが,私なりに考えていたのは「アクセス権限の設定・運用」の問題です。あらゆる情報操作あるいはそれに関するシステムは,アクセス権限の設定と運用実態を重要視して存立すべきだろうと考えます。

 校務の情報化に関するシステムを開発する企業の方々とご一緒する仕事もありましたし,そうした関連システムを個人的にもいろいろ勉強する機会があります。

 その度思うのは,システムプログラマの人々は「アクセス権限」という発想を(コンピュータの世界の概念として)了解はしているのだけれども,ユーザーの側は「アクセス権限」という発想や概念がないまま業務を認識しているので,両者が「アクセス権限」という切り口でシステムに対する要望や仕様をちゃんと相談できていないということです。

 教育工学の研究をしている人たちの中にも,情報共有のツールを作ろうとする人たちがたくさん居ますが,たとえば教育の現場における情報の扱いや行き交いをアクセス権限と運用のデザインとして捉えて具現化する人は少ないです。

 人が知識に対してアクセスするロジックを実態を踏まえてデザインできるかどうか。単に新しい研究がしたいのであれば新規性のあるロジックを考えればよいですが,少なくとも普及を考えているのであれば,実態をロジックとして捉えてからそれに匹敵する新しいロジックを考える必要があります。

 システム開発が得意な人たちは,ファイルシステムやデータベース開発などでアクセス権限という考え方に馴染みがあり,その重要性についても了解しているのですが,現場の業務や校務がどのようなアクセス権限デザインで存立しているのかを感得していないので,使い辛いシステムを構築してしまうのです。

 私たちはこうした不幸なシステムの存在によって,情報化を敬遠したり,難しく考えたりしていることが多いのです。

 付け加えていえば,「アクセス権限の設定と運用」とは,最初に決め打ちしてデザインしたら終わりという固定的設定を運用することを指していません。情報共有や業務・校務の進行によって権限の設定が変化していくことを考えています。

 つまり情報共有システムを作り出すときに重要なのは,可変的なアクセス権限をどのようにシステムとして実現するのかという問題なのです。

 こうした可変的アクセス権限のデザインのセンスにすぐれているのはGoogleのエンジニア達かも知れません。

 先日のカンファレンスで披露されたGoogle Waveは,たくさんの情報を束ねて情報の波のように扱うことができ,それら情報へアクセスする手段や環境も柔軟に変化させ束ねて運用できるツールだと考えることが出来ます。(@ITによる解説記事

 こういうツールをデザインできるセンスを持っているのでGoogleは強いのです。

 私個人は,システム開発者の方々と現場の先生方が情報交換する場に居合わせて,双方の考え方をアシストしながら橋渡しする仕事が好きです。

 そうしたやり取りの中で,システム的なチャレンジを提案したり,ツールがもたらす可能性から現場の在り方を提案したりするのが私の流儀です。そうした提案は,すぐには実現しないものばかりですが,それぞれの立場の思考を刺激するという意味で,また違う形になって出てきた時には嬉しかったりします。

 そういう仕事で私の名前が出ることはないんですが,まぁ,それでいいんです。