「教育らくがき」という教育関連の駄文サイトは,かれこれ13年間の長きにわたって続いてきた。中断も一時的改名もあったが,教育という世界から逃れられない「私」の言葉のやりくりを書き綴る営みは,まだまだ続きそうである。
教育らくがきは,教育にまつわる事柄について考えることを目的としたサイトとなっている。そのため,思考や議論に対して様々な刺激を加えるための言葉が並ぶ。ここでは,それを「駄文」と称している。
教育について考えるきっかけをつくろうという純粋な目的のために書かれる文章を「駄文」と称するのには理由がある。一つ目は,書き表された文章の出来が文字通り稚拙であること。二つ目は,書き手である私の見識の低さを棚に上げて書かれる文章であること。三つ目は,教育の議論が前進したなら捨て去るべき文章であるのを願っているためである。
思考の刺激となるために,基本的には「批判的」な姿勢をとる駄文が多く書かれる。書かれるものだけ取り出せば,この人は何に対しても文句や不満がある人なのだなということになろうし,認識の甘さや見識の低さを読み取ることも可能である。
教育らくがきに対して(また書き手である私に対して),どのような評価が下されようとも一向に構わないのであるが,それが,思考を停止させることや,議論を前進させないことの理由にはならないと考えるし,むしろ建設的な議論へと結びつけていくことの方が大事だと考えている。私自身は吹けば飛ぶような存在だが,議論すべき問題自体はそうもいかないのである。
これが,教育らくがきが長らくとってきたスタンスであり,どちらかといえばある種の距離感を保ちながら私自身の日常を通して教育や社会の現実を考え,その思索を切り取って書き綴ってきたわけである。
あまり万人受けしないのは,どこかしら好戦的で堅苦しい雰囲気があったことと,丁寧な文脈説明を抜きにして思索を書き連ねた長文が多かったためだろう。たとえば,いま書いているこの文章がまさにそれである。
教育らくがきを再開するにあたって,基本的なスタンスを変えようとは考えていない。しかしながら,もう少しオープンであろうとは思っている。たとえば,もう少し分かりやすく丁寧な解説を書くとか,短く読みやすい小出しの文章を書くとかなど,工夫の仕方はいろいろあるだろう。
私自身の七転八倒な日々はまた別の場所で展開するとして,ここでは,新生・教育らくがきのスタートである。