西洋的な祭日を過ぎれば、少しは日本らしい暮れを味わう時期がやってくる。風情があるかどうかは別として、東京も街並デコレーションだけは季節季節に応じたものに変わるので、それなりの景色にはなるようだ。
近況報告をするために年賀状を準備した。試験だ、退職だ、引越だ、生活だ、また試験だ、有り難や仕事だ、と慌ただしかったので、ここまでご挨拶が延び延びになってしまった。また新年になったらここにも年賀状を掲載しよう。
先日、書店へ出かけいつものように教育の棚を見ていたら、皆さんもよくご存知の著名な先生もいらっしゃって、しゃがんで棚を眺めていた。こっ、ここまで足を伸ばされていたのね。咄嗟のことでビビッてしまった。
そしたら今度は若い大学生グループがやってきて、授業の課題なのか教育の本についてしゃべり始めた。当然、先生の名前も飛び出して、なんやかんや語っている。側にご本人がいるのを知らない様子。その光景を眺めて、勝手にハラハラしていた。
吉田典史『小学校の仕組みがわかる本』(秀和システム2006.12/1200円+税)とか、佐藤晴雄監修『「保護者力」養成マニュアル』(時事通信社2006.12/1600円+税)といった保護者向けの義務教育解説本のようなものが発売されていた。
よく考えると、こういう類の本は少ない。かつて学研が教育改革に関してわかりやすく紹介した本を出した記憶はあるが、他にあるだろうか。保護者向けだと、大概が子育てや家庭教育といったテーマになり、近年だと親野智可等氏の「親力」あたりが人気である。
しかし、上記の2冊を見て、義務教育制度に関する説明書やマニュアルというものが整備されているとはいえない現状を改めて再確認した。文部科学省のホームページ「小・中・高校教育に関すること」も、保護者が学校教育制度に向かい合うことを助けるようには整備されているとはいえない。
電化製品でも何でも、説明書は大事である。分厚いマニュアルは読まれない傾向もあり、マニュアルの電子化や廃止が普通になっている分野があるとはいえ、基本としては説明書は必要である。
学校教育の基本的な使い方が分からないから、学校と家庭と社会との役割切り分けが曖昧になり、保護者からの要求水準に歯止めが無くなってしまうことも考えられる。
それについては小野田正利『悲鳴をあげる学校』(旬報社2006.12/1400円+税)が、保護者のイチャモン(無理難題要求)研究の必要性について言及し、事例考察の成果を披露している。
情報を引き出しやすくなったにもかかわらず、大人さえうまく扱えていない現実がある。雑誌『人間会議』(2006年冬号)は、特集「情報社会をより良く生きるには」と題して、様々な観点から情報との向き合い方を論じている。
様々な考え方はあるものの、よりよく生きるとは何かを考え、それを実践へとつなげる努力こそ重要なのだろうと思う。それを可能にするのが情報社会ではないか。
ところが、実際には私たち自身が情報の編集プロセッサみたいな存在になることが社会的に重視され、そこに価値や意義を集約させてしまっているようにも思う。
ある時から、理想の実現自体を「時間的先送り」の名の下に有名無実化することで、富の集中が企てられてしまったのかも知れない。それが資本主義の根本原理に基づくだけに、抜け出すのは大変だ。ニートも、第二新卒も、ワーキングプアも、そういう構造の中で起こった地続き現象というか、安定性を与えるための「括り名」なのだと思う。
東京に来てインターネット接続の頼りの綱であったLivedoor Wirelessが存続するかどうか怪しくなってきた。月500円+税で利用できる魅力的なサービスだから、貧乏人にとっては有り難かったのだが、サービス停止となったら凄く困る。できればどこか存続を前提に引き継いでくれるといいのに…。でもインターネットから距離を置くのには、いい機会が訪れるのかも知れない。
さてと、そろそろ帰省の準備して実家に帰ろう。年末年始は実家の家族と過ごす。それから新年早々から渡英。イギリスで教育情報技術に関するBETTという催しがあるので視察する。初めての欧州である。というわけで渡航記も順次お届けする予定。