Googleという検索サイトの関連本が書店の一角を賑やかにしているが,世界トップであるこの検索サービスも日本での利用率はYahoo!に負けているというのは面白い。まあ,ソフトバンクによってほぼ日本的なサービスセンスを見せるYahoo!が日本の消費者ハートにしっくりくるのも当然だし,Googleはどうしてもサービスのローカライズ作業が目立ってしまうので取っ付きにくさが入り込む。
検索サービスと共に今話題なのは,ストレージサービス。特に動画をプールしてシェアするサービスが人気だ。たとえば「YouTube」とか「MySpace」とか「Google Video」である。特にYouTubeは外国のサービスながら,日本のユーザーからの利用時間が米国ユーザーを凌ぐと話題になった。映像系なら言語の違いはなんのそのといったところか。
動画サービスというジャンルで言えば,「iFilm」とかも知られている。あとはご存知のように動画プレイヤーソフトで有名な「Real」,ポータブルプレイヤーiPodと共にお馴染み「iTunes Music Store」を始めとして,多くのサイトで動画配信が展開している。「GyaO」は無料放送で注目を集めた。
各大学が講義内容を動画配信し始めるということも珍しくなくなってきた。もう数年すれば,それが大学の評価をする際の項目として意識的に取り込まれてくることだろう。無意識的にはすでに評価されているのかも知れない。
Nさんのブログで紹介されていたように,諸外国の映像情報の整備の成果がちらほら出ているようだ。フランスでは国立視聴覚研究所(INA)が「Archives pour tous」というテレビ・ラジオ番組の映像と音声データのアーカイブを公開した。いまは亡きブルデューの姿も見られる。
BBCが検索サービスに「The BBC Audio & Video search [“university”検索結果]」を付け加えたのも最近の動き[BBC記事]。もっとも素材データそのものは英国内でしか見られないように制限されている。BBCはもともと「BBC Motion Gallery」というサービスを展開しており,映像素材の公開には積極的であったし,どうもオンライン上で新展開を予定しているらしい[関連記事]。
こういう動きに関連して,動画映像データの配信といったリッチコンテンツをインターネット上でやりとりする動きは活発化したもののコスト負担をどうするのかという問題が議論されてもいる[関連記事]。それからBBCの動きに触発されてか(まあNHKはことある毎にBBCを取り上げて意識しているのは確かだけど),「NHKアーカイブス」に関してネット公開をするようにすべきであるという声もあちこちから強まっているようだ。どこかの記事で竹中大臣もそれが可能となるような法整備に意欲的な発言をしていたように記憶している。
で,前振りが長くなかったが,とあるページにリンクがあったのでYouTubeに登録された映像を見たのだ。YouTubeは初めてではない。このブログでもマルチタッチインターフェースをご紹介するのに利用した。けれども,こういう洗濯物をぶち込むような状態になりやすいサービスには用がない限り近づかないという癖がついているので,正直なところ気にはしててもほとんど利用していない。
だから,こうしてたまにリンクをたどって見る程度になるのだが,そこでやっぱり驚いた。遠慮無くテレビ映像が登録されて公開されている。いや,別にそういう映像自体は従来までも隠れたサイトにたくさんあったことは知っている。けれどもそれは感覚的にはゴミの山の中にビデオテープが捨てられているという感覚にも近く,たまたま拾って見ちゃった感でまだ許せた。
けれどもYouTubeにしてもどこにしても,これらはシェア(共有)が前提で,登録ユーザーから登録日時,視聴数までカウントして,検索されるようにストックされているのである。それは魅力的なツールだとは思うし,自分にも映像公開のニーズが発生したときには活用することになるだろう事は予想できる。だから,ここでわざとらしく「驚い」ちゃっているのは,「とりあえず登録しちゃえ,面白いから」という透けて見える動機でたくさんの映像が登録されちゃっていることなのである。
要するに私が懸念しているのは,そういう動機や調子のもとで登録されていく映像には,まともな背景情報がまったく付与されない傾向があるということである。もちろん著作者権利への想像力のなさを嘆くのもそうなのだが,それは専門家に頑張ってもらうとして,教育の問題に引っ張ってくれば,情報にタグ情報を適切につけるということが,どれだけ大切なことなのかをもっと意識すべきだということなのである。
悲しいかな,インターネットは接触できる情報を増やしたものの,情報絶対量があるラインから増えなくなるという対数曲線みたいな性質がある。こうなってしまうと,実は知りたいことがほとんど得られないという状態で固定してしまうのである。
もしも同時代の事柄に関しての情報なら,自分の知識が不足分を補うかも知れない。途切れた検索の糸を記憶の断片で繋げていけるかも知れない。でも,何十年後に情報を検索した人間には,そういう予備知識や周辺情報がないかも知れない。そうなると,ある情報に関する検索の糸は,いとも簡単に切れてしまいかねない。
だから,映像一つ登録するにも,それが「どこで」「いつ」収録されたものなのかぐらいはタグ情報で付け加えないと,あとで苦労するのは私たちの子ども達やその他の世界の人々(他者)なのである。そうでないと,登録日なんかの情報があるので,それが収録日や映像そのものの中身の日時と「イコール」なのかどうなのかで悩まないといけなくなる。
そういう配慮や想像力もなく,どんどん映像が登録されていく勢いに「驚く」し,まあ,この「オマエのものはオレのもの,オレのものはオレのもの」というジャイアン的アメリカの著作権利意識のうえに成り立つサービスが,最終的にみんなをハッピーにするならそれでもいいのかも知れない。けれども,教育という文脈にとっては問題だけ残された感じがしてなんだかいや〜な気分なのである。