月別アーカイブ: 2009年9月

長月二九日

 あれこれ書かねばならぬ駄文もあるが,仕込みや仕事であっという間に日々が過ぎている。九月の東京出張が終わり,長きに渡る東京暮らしの残り火も消して,いま住む場所に腰を据える覚悟がようやく整った。あとは,ここで頑張って行なっている事柄をどう発信するのかということである。

 とはいえ,いまは仕込み中。

 開発物が普及しないとか持続性が有るとか無いとかいう議論は本当なのか。それなら実際に開発してみよう,そして試してみようという単純素朴な実験に向かって準備中だ。

 「ITばかりの話でICTがない」という質問の真意を読み取ることへの挑戦も組み込まれている。Communicationという言葉や頭文字の有る無しという理解や,単なるご乱心で片づけるのは,もったいない。

 それをやったら「研究者」じゃないという議論が待ち受ける。

 まさにそれが問題なんだ。「研究者」って何なのか。

 一握りの優秀な研究者はともかく,平凡な研究者も同じ議論ができるのか。

 
 とにかく,いまは仕込み中。

 堅いものも柔らかいものも取り合わせて奮闘中である。

長月二三日

 日本教育工学会の最終日を終えて,翌日徳島に戻った。シルバーウィークの東京滞在は,3年間の東京暮らしを少し冷ました後で,その距離感を味わってみるような時間だった。また,訪れたいと思えたのだから,よい距離感なのだと思う。

 連休の疲れ?を連休最終日に癒しつつ,すでに後期が始まっているから休み明けの授業の準備をするため職場に来る。録画してあったニュース番組をチェックしたり,学会で会うことの出来た人たちを中心にTwitterのフォロー返ししたり,買って持ち帰った本を眺めたり,いろいろしているうちに時間も経つ。

 『技術の哲学』という岩波テキストブックは,日本教育工学会のシンポジウムなどで語られた問題を考えるのに良い材料を提供してくれそうだったので思わず買って帰ってきた。プロメテウス神話にいろんなバージョンがあるということを説明してあって,なかなか面白い。またシンポジウムについての駄文を書くときに引用したい。

 研究に関しては,山のように宿題があるので,後手に回っているが論文執筆も含めて継続的に取り組んでいこう。新しいことの仕込みも進めていかないと…。

 要領が悪いのは相変わらずだけれども,とにかく頑張っていきましょ。

日本教育工学会二日目

 学会二日目。今朝は少し気持ちの余裕も生まれたものの,別の上着のポケットに名札を忘れてしまったところからスタート。受付で新しいものをお借りして,工学部へ。途中,山内研のMさんと会い,歩きながら久しぶりにおしゃべりをした。

 午前中は一般発表を聞いて回り,途中,福武ホールの地下で行なわれているポスターセッションにも足を運んだ。あまりたくさんの発表を追いかけすぎずに自分でペース調整すれば,大会参加もゆったりできるのかなと思えた。

 応募数の増加もあって一般発表の持ち時間が短くなり,いくらかネガティブな感想が聞こえる。来年はポスターセッションを申し込みたいという声が少なくない数あった。Mさんによれば,心理関係の学会などは査読つきの課題研究以外は全部ポスターセッションらしい。もしかしたら学会大会の形や雰囲気も変わっていくかも知れない。

 山内研で同期のSくんとも再会し,近況など。福武ホールに寄ったら,山内研・中原研のメンバーがいたので,学環コモンズに入れてもらい,昼食をそこで一緒に食べることにした。

 その後,Sくんとともに安田講堂に向かい,全体会とシンポジウムに出席する。何人かの先生にご挨拶したり,長らく渡しそびれていたものをお渡ししたり,シンポジウムの内容を確認したりする。

 新学会長・永野先生挨拶。日本教育工学会全国大会は第25回だけれども,11月に入らないと学会設立25周年の記念期間ではないらしい。晴れて25周年に入ったら,学会のシンボル(ロゴ)マークを公募するのだという。そういえば,日本教育工学会にはシンボルマークが無かった。なんかちょっと考えて応募してみようかな…。

 シンポジウムは「変革をささえる教育工学:サスティナビリティとスケーラビリティ」という題目で,中原先生をコーディネータに,強力な面々を登壇者として迎えたものである。中原先生の持ち玉としては,わりと鉄板なところで突いてきたという感じではあるけれど,それゆえ面白みのあるシンポジウムだったと思う。コメンテーターに,経営学畑のお二方を迎えて,進行しているシンポをパサァと斬って断面を見せてもらう趣向にしたことがうまく効いた。

 シンポジウムの議論自体は,昨日のサブ・シンポジウムで語られていたこととも通じていたと思う。永野先生によるとどうやらメイン・シンポジウムの方の議論とも通じていたらしいから,やはり「研究と実践」あるいは成果普及の問題は,教育工学という研究分野全体に共通する主題なのだろう。このシンポジウムについては,また別に詳しく書いてみたいと思う。

 安田講堂でのシンポジウムが終わったら,そのまま安田講堂地下に広がる中央食堂を会場に懇親会。

 学会の懇親会は,居場所や居心地の予想を付け辛く,参加する直前まで気持ちが躊躇してしまう。とはいえせっかく来たのだからと,人の流れに身を任せて,懇親会会場に紛れ込むことにした。

 考えてみれば,今年は在籍していたキャンパスでの開催なのだから,知った顔も少なくない。まずは山内研のメンバーあたりと集いながら,懇親会を始めることにした。

 M1(修士1年生)の後輩達とは,一緒に過ごす時間も少なかったものだから,特に先輩らしいことは何一つしてあげられていなかった。そこで,山内先生のお許しももらって,先輩としてM1をいろんな先生達に紹介することになった。

 研究室に縁の深そうな先生方から探し回って,気がつくと山内研と中原研のM1後輩たち4人を引き連れていた。懇親会会場は大盛況で,先生方を捕まえるのはなかなか難しかったけれど,世話焼きおばさんのつもりで幾人かの先生方にM1の後輩をご紹介することが出来た。ちょっとは先輩らしいことが出来てホッとする。

 私個人も幾人かの先生方とご挨拶。本当はもっとたくさんの先生方に徳島へ飛んだことを直接ご報告しなければならないとは思いつつ,タイミングが合ったり,お声掛がけいただいた先生から順に近況などご報告する。

 途中,影戸先生が「お〜,うわさのりんさんか」と声をかけてくださり,「???」で話を聞くと,「ちゃんと飯は食えているのか,みんな心配してた」とのこと。知らないところで,想像以上,多くの方にご心配をおかけしていたのだと,大きく反省。そうやって思っていただけていたことに対して,ご恩返しの仕事・研究など貢献をしなければならないなと感じた。

 そんなこんなで,あっという間に懇親会も終わり。会場の後片づけに男手が必要ということなので,喜んで手伝う。いつまでたっても実動部隊で動けるつもりの自分。後から筋肉痛や疲労が襲ってきて苦しむことを,いつも忘れる。

 片づけ終わって福武ホールへ。予定では,みんなに連れられて地下で行なわれているはずのワカモノ飲み会に合流するはずだったが,荷物をスタッフ室に運んだついでに,同じ研究室出身のSさんとの会話が始まって居座り開始。あれやこれやと話が続いて,スタッフの皆さんも会話に加わり,さらに話が盛り上がる。気がついたらワカモノ飲み会は終了していた,ははは…,予定は未定だから。仕方ないので池袋に帰った。

 明日は最終日。学会が終わった後,片づけの手伝いが必要なときに,声がかけられてもいいよう終日滞在できるようにしてある。その辺は様子を見ながら,ウロウロしていよう。

日本教育工学会初日

 東京大学で行なわれている日本教育工学会全国大会に出席。わりと早く着いたので,人がごった返す場面にあわず,受付を完了し,研究室にご挨拶。あとは発表やシンポジウムを聞き,自分の発表を済ませ,Yくんと再会を祝して夕食。

 シンポジウムは,メインの「学習指導要領のスタートに向けて「教育の情報化」のために教育工学は何をすべきか」とサブの「ICTを利用した教育・学習システムの目標設定と評価法」の2つ。

 教育の情報化ですべきことはもう分かり切っているので,サブのシンポジウムを聞きに行った。そう考える人は多いのか,かなり盛況だった。

 シンポジウムを始める前に,S先生から論文誌に新たなカテゴリーを新設するとの方針が披露された。「教育システム開発論文」と「教育実践論文」という枠は,従来の「論文」枠とともに併設され,投稿の際に予め選択することになる。

 従来,何かしらのシステム開発を企図した研究は,その開発に関する研究部分とシステム運用の実験部分という性格が異なるパートを論文に盛り込まざるを得ず,そのため不幸にも論文自体がリジェクト(返戻)されてしまうことが多い。

 そのような不幸を減らすためにも,教育システムの開発部分とシステムの実践評価部分を分けて論文化しても適切な査読評価を得られるように,新設枠が提案されたのだという。

 それはそれ自体として歓迎すべき告知であったが,困ったことに,シンポジウムの理解に不要なバイアスをもたらし混乱が生じてしまったように思われる。

 正直なところ,不思議な議論展開をしたシンポジウムであった。

 開発物をめぐって研究者の思惑と学校現場などの協力を得ることの難しさを言及する発表。教育システムが学習パフォーマンスに与える因果連鎖において,システムそのものよりも依って立つモデルや技法が大きな影響を与えることを指摘するもの。ツールのみを評価するのではなく,活用する人間の活動と一体となった関係性を含めて捉えていく必要性を指摘する発表。教育工学が当然視(あるいは結果的に隠ぺい)している事柄を問い直し,量的・実証的アプローチが目指す脱文脈的な研究ではなく,質的アプローチによる文脈的な研究を重視していく重要性を指摘するもの。

 教育・学習システムに関するそれぞれの問題意識や指摘は,(文系教育研究畑からやってきた)私には目新しいものではなかったけれども,どうやら教育工学の世界ではようやく議論が始まったばかりだという。

 私が登壇者でもあるO先生の授業の席を立ち,教育工学と出会うことなく距離を広げたのは,まさにその問題をO先生が議論し始めた直前のことであった。もしあの時,その事情を知りえたなら,その頃からともに問題を考え,根っからの教育工学研究者になっていたかも知れない。そう思うと,運命のいたずらが少し悔やまれるが,いずれにしてもあれから14年が経過した今になって,ようやく問題が共有され,議論が始まったところだということに,やるせなさを感じる。

 いずれにしても,教育・学習システムの開発と評価を行なう研究について,これまで様々な苦悩があったとして,今後は,文脈や実際の利用者からの声を積極的に繰り込んでいくような質的アプローチによる研究を推進していくことで,少しでも研究的にも実践的にも有意味な研究と論文が生成されていくことを目指していく提案は,了解しえる。

 ところが,フロアの中には「発表はいずれも論文化ということを絶対視している。社会貢献することを目指す在り方もあるのではないか」といった理解を示す人もいたし,「研究者と教育現場の実践者とのコミュニケーション(意思疎通)の問題」として問題を考えているような質問・コメントも聞こえた。

 もしも論文化における採択の難しさが問題だという趣旨でシンポジウム発表が理解されていたとすれば,S先生が披露した新たな論文枠の設定は,問題の解決を図ったものなのかという混乱した理解も引き連れてきそうである。

 シンポジウムの議論は,様々なレベルや位相の各論の狭間に紛れ込んで,司会者もどこに焦点化すべきであるのか迷ってしまった。

 私にわからなかったのは,文脈に沿う質的アプローチを重視することによって教育・学習システム研究の活路を見いだそうとするとしても,「教育の情報化」の理不尽な停滞状況が解き放たれた場合にどうなってしまうか。その想像図が不明瞭であるということだ。

 このシンポジウムでは,もし「論文化」が「実験的評価の実証性」ばかりを問うてしまい「実効性あるシステム開発」に何がしかの障壁を生んでいるとすれば,むしろ「全体を捉え」「利用活動を一体と見なし」「目標にとらわれない経過に焦点化した」評価が重要だと論じたのであった。

 しかし,「本当に実効性のあるシステム開発がしたければGoogleにでも行って開発すれば?」という声に対して,シンポジウムの主張はどんな対抗する言葉を持ち得るのかよくわからない。

 圧倒的なブランディングとグローバル戦略でサービスを提供するGoogleが教育・学習システムをどんどん提供していくことを想像したとき,研究者が論文化の問題で質的アプローチによる険しい道のりを歩み始めている間に,教育の情報化を取り巻く状況はどんどん変わってしまい,「教育・学習システムの開発を研究すること」のメリットを見出し難くなってしまうのではなかろうか。

 社会的に貢献する教育・学習システム開発を優先し,その経過や成果を後付けで論文化するような方法論に対し,教育工学のような学術研究としての教育・学習システムの方法論が打ち勝つための最後の砦はどこにあるのか。

 シンポジウムの議論を聞きながら,内部での努力も必要だが,外部に対する備えも必要ではないかと思えた。

長月一七日

 明日から東京出張。連休中にある学会に出席するためである。

 東京から徳島に完全に引っ越したはずなのに、何故か細々とした用事らしきものがちょこちょこと残ってしまうもの。6月から毎月一回は東京に出かけてきた。

 たまに行くから素敵な街・東京を、この数ヶ月は(仕事込みとはいえ)贅沢に堪能したのだと思う。まあ、相変わらずの貧乏性だから、することといえば書店巡りか、街散歩くらいではあったけれども…。

 今回の出張で用事が済めば、これでもう東京に出かける用事も尽きる。また、しばらくは閉じ篭って、職場の仕事ももちろんだが、自分自身の気持ちの焦点化に集中できればと思う。

鳩山政権の公約違反の始まり

「記者クラブ開放」の約束は嘘なのか – 池田信夫
http://agora-web.jp/archives/749649.html

その他,関連情報多数…

 政権の切り替わりで後手に回っていると考えられなくもないが,これは一番最初のお灸として,ちゃんと話題として取り上げておくべきだろう。会見をあらゆるメディアに対してオープンにしていくという公約が始めから反故にされた。

 この公約は,政治に対するチェックのために必要であるというだけでなく,むしろ政治を伝えるマスコミ・メディアのチェックのために必要な公約である。

 これまで,教育分野に身を置いてきた私たちは,マスコミ報道のいい加減さや理解の狭さに大いに振り回され,悩まされてきたのではなかったか。それを是正するためにもマスコミ・メディア報道のチェックが出来るように別の系統・チャネルのメディアによる取材活動や情報伝達の道筋を確保することに,むしろ人一倍敏感でなければならない。

 あちらこちらでこの話題が書き込まれて,もちろん正直うんざりする部分もあるが,だからといって,この大事な点についておろそかにしてしまえば,多くの人々が何かしらの思いで投じた一票一票が,無駄になってしまうことになる。

 オープンであること。これは政治や教育ももちろんそうだが,メディアにとってこそ大事な条件である。この問題が,よい方向に解決され,政治とメディアと私たち国民のよりよい緊張関係が保たれることを望む。

川端文部科学大臣就任

 鳩山民主政権が誕生した。朝から国会は大忙しで,決まれば天皇陛下の出番で首相を親任する。そして真夜中に17名の大臣が連続会見を行なっている。

 私たちのフィールドである教育分野に関係する閣僚は多いが,メインは文部科学大臣。そこに就任したのは川端達夫議員である。というわけで,川端文部科学大臣の会見も流れの中で行なわれた。

 ちなみに藤井財務大臣はご高齢で「どうかな〜」と思っていたが,記者質問の受け答えは上手で,さすが元官僚。仕事に関する頭の回転スピードは歳をとっても衰えないらしい。福祉に理解を示している点で,教育予算に対してもそれなりの理解を示してくれるのではないかと思うが,それは国家戦略室の菅氏の権限も関係するかな。イデオロギー省庁としての文部科学省が国家戦略室(局)とどう渡り合うのか,その辺が注目点である。

 川端文科相の会見は,少々パンチの欠けたものであった。学校教育をめぐる問題として「学力低下」「いじめ・不登校」「教職員の不祥事」を挙げるという語り口もだいぶ古くさいし,記者の質問への返答も明瞭ではなく,何をどうするのか明確には示さなかった。

 正確な内容は報道に譲るべきだが,曖昧な記憶に基づけば,鳩山首相からの指示書の内容としては

 ・高校の無償化,大学院教育の充実などによって,意思ある人々が教育を受けられるようにすること
 ・教員の改善などによって教育の質を向上させること
 ・世界の中で日本が科学技術によってリードできるような教育

 というものらしい。指示書がこのようなおおまかなものだから,具体的に何をどうフォーカスすべきかはこれから議論するというのは仕方ないことかも知れない。

 記者質問は次の4点だった。

 ・全国学力調査を悉皆調査から抽出調査にするのか
 ・教育免許更新制をどのようにされるのか
 ・日教組との距離感はどのようになるか
 ・メディアセンター(国立メディア芸術総合センターのこと)について

 いずれの質問に対しても,民主党のマニフェストにおける議論で扱われたことを述べ,そこに示された方向性の確認といろいろな立場の意見を踏まえて議論をしていく必要があるという返しで終わった。それぞれに対する返答の断片は次の通り。

 ・学力調査に関しては,目的にかんがみれば抽出調査でよいのではないか
 ・教員免許更新については,教員の質の向上という目的にかんがみて免許制自体を6年制にすることを議論してきた。不適格教員に対する措置に関しては,別の方法で行うことの方が正しいアプローチだと考える。
 ・日教組との関係は,広くご意見を聞く中の一つの存在として
 ・メディアセンターは税金の無駄として整理するという議論をしてきたので対応するが文科省以外も関係する

 事前報道などで出ていた「いつまでにする」「こうしていく」といったような話は極力避けたのがわかる。

 ただし,すでに先般の補正予算の執行に対して一時中断をするように文部科学省から指示があったという報道も流れてきている。予算執行がキャンセルにならないことを祈るしかないが,本当に白紙に戻ることになったら,スクールニューディールは,地震対策の耐震工事を除いて頓挫してしまうことになる。e-Japanのときもそうだったが,つくづく「教育の情報化」は運が付いてないというか,呪われているというか…。

 国民にとっては,教職員のパソコンが導入されるされないとか,電子黒板が配備されるされないは,ほとんど意識されることが無いから,仮にキャンセルになっても一番文句が出ないところだろう。地震対策の耐震工事のように命に関わることではないから,またICT機器的にプアな学習環境の継続を強いられる。大所帯になった日本教育工学会は,国民に代わって何かメッセージを発信するだろうか。う〜ん,しないか…,みんな上品だから。

 川端文科相の真価はまだ見えないが,よりよい教育よりよい学習環境を意思ある人々に提供することに本領を発揮してもらうには,まだまだ時間がかかりそうなことだけはわかった。

 とにかく,遠く遠くでエールを送りつつ,こちらはこちらで草の根から盛り上がっていきたいと思う。

学会参加サポートアプリの可能性

   

 9月19日から21日まで東京大学本郷キャンパスで日本教育工学会が開催される。私も昨年の発表の決着を付ける必要もあるので発表をする予定である。

 その準備もしなければならずノロノロと取り組んだりしているが,やはりどうしても現実逃避という悪い癖が抜けない。最近はプログラミングを復習したりしていることは,先日も書いた通りである。

 何をプログラミングしていたのかというと練習課題のつもりで「日本教育工学会・大会参加サポートアプリ」というものをつくってみた。ご覧のようなガイドアプリである。

 まあ,こんなのWebを見れば済むことでしょ,というのが現実。でも本当は,現在時刻と連動して,同時進行している発表が一覧できたり,予め聞きたい発表をマークしておいて,自動的にナビゲーションしてくれるような機能とか,発表に関するメモを記録する機能とかを組み込むと便利かなと思っている。

 いや,iPhone上で学会発表一覧を眺めると,意外とタイトルを見入ってしまうのは自分だけ?とにかくいつもの調子で手元で学会の内容を確認できるのは,なかなか新鮮な感じがするのである。最近は大会原稿集をCD-ROMで配布するようになってきたのでありがたいが,モバイル機器向けのWebサイトやアプリもあったら嬉しい。(誰がそんなコスト払うねん!という突っ込みはまったくその通りです,ははは…)

 残念ながら,このアプリは当日までには間に合わず。用意できたデータは一部だけだし,デザインもやっつけだし,プログラミングの最適化もしていないので,しばらく使うと遅くなってくる。まあ,本当に見かけデモレベル。それでもしっかりiPhone上で動いております。さすがに当日には間に合わないのでアプリ配信の予定はありません。あしからず。

 まあ,ここでご紹介するにとどめて,このノウハウは次なる研究に注ぐことにします。

 おっと学会発表の準備をしなきゃ…,あ,明日の授業の準備も忘れてた。う〜ん。

ウィークタイズ

 自分の理想としていた在り方にちゃんと名前があることを初めて知った。よかった,知ることが出来て…。

 誰かにとってのウィークタイズであれれば,それが一番いいと思う。そうなることも難しいけれど。

ツールを扱う日常が学校にあること

 カメラ付きiPod touchのもつ爆発力は,実は,Appleが得意とする教育市場において可能性が眠っている。

 高等教育におけるMacBookなどのノートパソコン普及が高まっていることは,すでによく知られている。ネットブックの登場もは価格面で,それを押し広げる可能性を持っている(もっともネットブックを大学の勉強のために多くの学生が手にしたという話題はまだ聞いたことが無い…)。情報伝達の道具でいえば,学生が個別に持っている携帯電話の普及率の方が高いであろう。

 しかし,カメラ付きiPod touchのようなモバイル端末は,まったく異なる利便性を提供するツールとなり得る。それは,学生自前の携帯電話回線に頼ることなく無線LAN通信が可能で,ノートブックやネットブックのようにフタを開く手間なく情報を引き出すことが出来る。さらに写真や映像の記録機能が,講義における活動を広げる可能性を付与する。

 こう考えると,学内(あるいは無線LANのある場所)における学生達のサポートツールとして有用である。

 小・中・高校教育ではどうだろうか。

 情報活用能力や情報モラルの育成は,小中高の教育において重要課題となっている。そのためのツールとして,教室にパソコンと電子黒板(電子情報ボード),やがて子ども達一人一人に扱ってもらうためのキッズパソコン(ネットブック)が目論まれている。

 ところが,もっとも身近な情報ツールである携帯電話の扱いは混乱している。
 
 小学生の携帯電話普及率は低く留まっているとはいえ,利用開始のタイミングは家庭の事情によってバラバラ。このことが,子ども達の中に携帯電話への習熟度の差違を生み出し,必然的に教え合いの機会を生成する。

 このとき,子ども達独自の教え合いの場と学校における情報教育の場がうまく噛み合うことが期待されるが,さきほど指摘したように子ども達の携帯利用開始時期がバラバラということは,五月雨式に子ども達が携帯電話との関わりを始めるということであり,授業としての情報教育という考え方では個々の子ども達への適切な介入が間に合わない可能性を孕んでいるのである。

 これに対処する一つの方法として考えられるのは,学校側が子ども達に向けて携帯電話に匹敵するツールを提供することである。その具体的なものとして「iPhone」があると考えている。Google携帯でももちろん構わない。

 しかし,iPhoneもまた携帯電話である。そして携帯電話を学校が提供することは難しい。そこには携帯電話回線の契約や料金が関係してくるためである。

 そこでこの困難な部分を取り除いた「カメラ付きiPod touch」が重要な存在となってくるのである。

 カメラ付きであることの利点は,初等中等教育の実態を理解している人々には釈迦に説法ではあるが,児童・生徒が自ら撮影した写真や動画を教材とすることに,大きな可能性があるからである。

 カメラ付きiPod touchの有用性は,携帯電話の主要な機能を再現できることにある。

 メールの送受信,Webへのアクセス,カメラ,録音,音楽プレイヤー,地図,その他アプリを導入することが出来る。こうした機能をもつ「ツールを触れる日常が学校にある」という事実を作り出すこと以外に,学校教育が情報教育をごく普通のこととして扱う日を迎えるのは難しいと考えている。

 「ツールを扱う日常が学校にある」 このことが大事である。

 iPod touchならば電話回線を使用しないため,通信は(近隣の家からの無線LANが及ばない限りで)学校のネットワークの範疇でコントロールできる。必要であればiPod touchにある「機能制限」設定を使用してもいい。

 携帯電話とは違って電話回線料金の問題は発生しない。少なくとも学校のネットワーク整備は済んでいるのだから,通信料金の問題はクリアしているはずである。

 利用形態は,学校ごとに異なっていてもよいと思う。学校の備品として,クラス単位,授業単位で使う形でもよいし,全校児童に一つずつ提供し,6年生が卒業したら新1年生がそのiPod touchを引き継ぐ形に設計してもいい。地方毎に事情が異なるのであるから,可能な形で入り込めばよい。

 自分たちが使うものであることを意識できれば,物の大切さや丁寧に扱うことの大事さも,教育のメニューとして加えてしまうことが出来る。いつも端末ばかり気にしているような子ども達に,人が話しているときはちゃんと人の顔を見て話すことや,目の前で端末をいじられたらどんな気持ちになるのかを演じさせて考えさせるのもいい。

 機器や情報との接し方を指導できる機会を学校の中に作り出すこと。情報教育だけを日常から遊離させないためには,そうした次元の取り組みも大事なのである。

 私は,学校や教育がもっとリッチであっても良いと思っている。

 新しい校舎になった学校も増えてきてはいるが,ほとんどの学校は大人たちが過ごしたあの当時の学校の様子をほとんどそのままに維持している。

 どこか別の場所に出かけた際,その土地にある保育所や幼稚園を見かけることはあるだろうか。

 少し薄暗く,かなり長い歴史がありそうで,園舎も教室のロッカーも壁も薄汚れている。そんな環境で,元気な園児が走り回っているという風景。

 財源問題は確かに大きな問題である。それは別に論じていくべきだ。

 しかし,そのことが教育をリッチにしないことの理由にはならない。

 リッチにするための選択肢はたくさんある。

 私はその一つとして「カメラ付きiPod touch」のようなツールを学校へ入れることを推したい。

 あなたにとって教育をリッチにするためのオススメは何だろうか。

 
 (追記:もちろん「リッチ」という言葉に物質的な意味だけを込めているわけではない。それによって学びの機会や深まりが豊か・リッチになるということをむしろ念頭に置いている。)