月別アーカイブ: 2007年3月

春の来客

20070330_ueno 東京は一足早くに桜満開となった。春の訪れを感じながら上野公園にある桜並木を歩く。
 かつて同僚と3人で歩いた思い出の並木だ。3人とも職場を離れて新しい場所で頑張っている。複雑な思いがないわけではないが,結果的には良かったのだと信じよう。

 前職でお世話になった先生が来京。別の大学に移ったあとも私たちを可愛がってくださっている。「あなた私の息子同然なんだから」と焼き肉をご馳走していただいた。思い出話など,いろいろとお話をする。
 時代の移り変わりを語るとき,私たち若い世代は何を引き受けることができるのだろうかと考えてしまう。高齢社会,団塊世代の大量退職など,シニア世代の存在は今までにないほど注目を集めている。元気なうちはいい。けれども,衰退していく体力や気力という現実は,私たちが考えている以上に辛いものかも知れない。若い世代は,それに辛抱強く付き合うことができるのか。あるいはそんな話はたんなる杞憂なのか…。
 美味しい焼き肉を堪能。いや,ちょっと食べ過ぎた。とにかく幸せをいただいた。

 翌日,W先輩と待ち合わせする駅へ。打ち合わせの仕事を終えて向かうと聞いていたが,いつものスタイルで待ちかまえてらした。さすが,何があろうとゴーイング・マイ・ウェイなところは先輩らしい。
 在学時期が重なることはなかったが,出身大学の直属の先輩ということで,いつも気にかけてくださる。この頃の駄文が暗い雰囲気だったことも心配してくださっていて,会ったら「意外と元気そうでよかった」とのこと。
 やはり思い出話を含めて,今後のことなどいろいろ助言していただく。学術作法の修行不足について,しっかりと指摘されながら,この機会にしっかり身につけるように励まされる。気が多いという私の欠点もよく分かっていらっしゃる。

 いやはや先輩と話すと何より,この「教育らくがき」というブログを読んでいる人達の存在を聞かされる。遙かにスマートな人々に読まれるというのは,光栄でもあるが,私の浅はかさを見透かされていると思うと複雑な気分でもある。皆さん優しいから何も言わないが,「そりゃ違うでしょ,りんさん」と言いたいときも多々あろうことは,長らく駄文を書いていて不思議と空気が読めるものである。
 果たしてこんな駄文を今後も続けるべきかどうか。もっと理性的で,論理的で,確固とした根拠の基づく,健全な学術ベースの教育議論を目立たせていくことこそ大事なのではないか。そうも思う。
 とはいえ,あえて止めるとも続けるとも決める気はない。もはや駄文を書き続けて10年以上である。そのときが来たら,「ハイそれまでヨ」と消えればいいこと。

 「りん,わるいな,言い過ぎて」なんて先輩はいつものように温かい目で告げる。歳をとれば叱ってくれる人はどんどん居なくなる。そう思えば,その「言い過ぎた」言葉は有り難い。
 すっかり酔っぱらった先輩を一晩泊めて,翌朝もあれこれ語らう。昼食後,先輩と別れてから上野へ。桜並木を眺めながらゆっくり歩く。天気も良く,骨董市なども開かれて公園は賑やかだった。
 春,これから始まる物事に心馳せる季節である。

有り難いこと

 不思議なことは起こるもので,そんな出来事をきっかけに,感謝することの大事さを思い出すことがある。今朝もそんなことがあった。
 ここ数日,憂鬱な気分の連鎖に陥っていた。自分でも何故だか分からないが,物事がうまくかみ合わないことが続く。なるべく新しい環境に対して従順でありたいと思うが,下手に歳もとったから周囲に対してある種の威圧感を抱かせるのかも知れない。本当に場違いな迷い子になっちゃったかなぁと,悩まないといったら嘘になる。
 その上,いくつかの予定がキャンセルされて寂しい気分になる。残念な出来事は束になってやってくるなぁと,さらなる憂鬱にはまりかける。

 そんなところに,一本の電話。前職でお世話になった先生から「東京に行くから,今夜飲もう」とお誘いがあった。ああ,有り難い。想いは遠方より来たる。
 明日は学部の先輩が東京に出張されているので会うことになっている。いつも遠くから私のことを気にかけてくださっていることに改めて感謝。
 来年度からお世話になる指導教官の先生も,お忙しいのにかかわらず時間を取ってくださり,的確な意見やアドバイスをしてくださる。周りの皆さんも,仕方は様々とはいえ,案じてくださっているのだろう。有り難いことである。
 駄文をお読みになっている皆さんや家族からも,慮りを受けていることを見落としている自分がいた。どうしてその事をたびたび忘れてしまうのか。まだ意識の鍛錬が足りないのか…。精進しないと。

 こんなとき思う。人の視野の持ち方や感謝の気持ちに対する持続力について。高校時代,仏教系の学校だったこともあり般若心経を繰り返し唱えていた。卒業後もたびたび思い出して唱えてみたりしていたが,最近はすっかりその機会がない。深い理由もなく寂しいことかなと思う。
 特定の宗教に縛られているつもりはないが,そういう経験から,何かを無心に唱えるとか,何かを拠り所にするということについて,あれこれ考える機会は多い。
 有り難い出来事をきっかけに,見失っている想いや幸せを探してみるのはいいことだと思う。一方で,不機嫌な自分を抱えることがあっても,それだけじゃならないのは,たぶんこの点ではないかと思うのである。

「インテルの考える21世紀型スキルとは何か?」

 記事になることをすっかり忘れていたが,偶然見つけてしまったのでご紹介。インテル社の教員研修プログラムで行なわれた演習に関する記事である。お恥ずかしいことに写真に映ってしまった。
 教育家庭新聞の紙面に演習自体に関する記事があるそうなのだが,Web記事ではインテル社が盛んに掲げる「21世紀スキル」なるものが何かを探るものになっている。(Web記事「インテルの考える21世紀型スキルとは何か?」)
 この記者(ライター)の方は,自分でも情報関係の授業を大学などで担当されているそうで,論理的に考えようとするタイプの方だった。インタビュー中のやりとりを聞いていて,その細かい指摘に感心した。

 NHK「プロフェッショナル〜仕事の流儀」が新しい時間帯に移り,映画監督・宮崎駿氏が取り上げられていた。その職人仕事ぶりも見ていて感心する。映画作りに孤独が必要かという問いに宮崎氏はこう答えた。
 「僕は不機嫌でいたい人間なんです,本来。自分の考えに全部浸っていたいんです。だけどそれじゃならないなと思うから,なるべく笑顔を浮かべている人間なんですよ。みんなそういうものをもっているでしょう。そのときに,やさしい顔してますねとか,笑顔,浮かべていると思う?映画はそういう時間に作るんだよ」
 もちろん,宮崎監督の映画作りには,たくさんのスタッフとともに作業するフェーズがあって,協働で仕事をする場面がたくさんある。だから,その事を否定した言葉ではない。
 「不機嫌でいたい」というのは凄くよく分かる。そして「それじゃならないなと思う」というのも心情が凄く分かる。なぜ「それじゃならない」かということには人それぞれの理屈があるものだが。

 人にとって本当に必要な能力とは何だろうか。それは21世紀型スキルと称するものなのか,もしくはその中の一部なのか。あるいは,まったく異なるものなのか。
 天候や地震といった環境の問題が顕著に意識されるようになってきたこの世の中で,社会観そのものの問い直しの必要さえ感じさせる。周回遅れの意識が,もしかしたら最も必要とされているものに近い位置にいたとしたら…。
 ぼちぼち拡散している考えを整理し直す必要があるな。

弥生27日目

 東京で接する人と物事にザラザラしている部分があると書いてみたが,要するにこれまで自分の慣れていた手触りと異なることを意味するのだろう。
 そういえば,10年前にもコミュニケーションのプロトコルが一変したことに苦労したことがあった。学生から社会人になって,要求されていることが異なることに戸惑った。それは失敗を繰り返しながら慣れていったものだった。
 そしてまた一大変化である。案の定,今年に入っていくつか失敗する。素直に自己反省するしかない。

 いくつかのことに絡んで,伝聞は恐ろしいということも再確認する。羅生門的というか,藪の中的というか。自分もその事に振り回されがちになるが,もう一度心鎮めてやり直さなければならないと思った。
 さて,落ち込んでばかりいられない。誠心誠意頑張りましょう。

気晴らし散歩

 日曜日に研究会。米国航空宇宙局(NASA)の教育活動についての報告を聞いたりしていた。現場の先生の発言に「あたしゃガッカリだよ」という気分を感じなかったわけではないが,まあ,それが現実なのだろうと思うしかなかった。いろんな先生がいて,そういう多様な人々を認めて慮ることが大事なのだと肝に銘じよう。

 わかっている。最近,なんだか心がとげとげしくなっていることは。言い訳がましいことを書けば,この街で接する人や物事のザラザラした部分の多さに「ちょっぴり」うんざりしているせいでもある。これが東京という街の暗い面なのかと,ステレオタイプな感想をあてがって済ませてしまおうかどうしようか。
 考え込んでも仕方ないので,散歩に出かけた。桜を見るなどして,心和みたかった。

 『通販生活』で買った傘が壊れていたので,新宿カタログハウスの店に持って行って修理を頼むことにした。3年保証だから無料修理してくれるという。なんかホッとする。
 それから紀伊国屋書店とリニューアルしたジュンク堂新宿店に寄って書棚とにらめっこ。『現代思想』4月号が恒例の教育特集をしていたので買う。岡崎勝氏の論考タイトルがオフコースの歌詞をもじったものなのを見て,オフコースファンとしてはちょっと悲しかった。
 暖かいから桜もぼちぼち咲いてないかなと思い,桜を探して歩く。青山霊園が名所だというので歩いていったが,まだほとんど咲いていなかった。残念。

 自分が周りからガッカリされていることも分かっている。その事にどう対応するかは継続課題である。見えてきたことが増えてきた分だけ,見えなくなったものも多い。もうちょっと時間かかりそうだ。正直なところ,そんな悠長な時間がないことも承知しているのだけれど…。
 まあ,私も遅咲きなので,桜と同様に咲く苦しみを十分味わうことにしよう。

弥生22日目

 名古屋市の住所から転出し,東京都某区に転入した。ついで国民年金の変更手続き。窓口の端末画面を見ると「60歳まで287月」と表示されていた。月単位でカウントダウンされているのを見て,目の前に数直線が伸びる光景が浮かぶ。
 春から通う大学院に入学書類を提出した。今日は学位授与式,明日は卒業式があるらしく,学内のあちこちで記念撮影する人達を目にする。さて,私も2年後,同じように笑っていられるかどうか。いまは先輩諸氏の修了を祝福しよう。

 書店に寄って教育関係2冊。
 上田小次郎『公立炎上』(光文社ペーパーバック2007.3/952円+税)は,筆者の経験と様々な文献や情報提供をもとに現場の実態を綴ったとされるもの。トーンとしてかなりネガティブに書かれているし,構成もつぎはぎ感が強くて,読むと暗くなること請け合いである。
 藤原和博『校長先生になろう!』(日経BP社2007.3/1500円+税)は,ご存知「よのなか科」の藤原校長先生による書。これまで様々なところに書いた原稿と校長先生になるための完全マニュアルが含まれる。民間校長を3000人増やす構想を実現するため要となる本というわけだ。
 悲観的に語るか,楽観的に取り組もうと呼びかけるか。同じ事態に対して各人が取る態度は様々だ。その温度差の調整こそ,もっとも厄介な問題であることも全員が先刻承知である。ゆえに日本には「曖昧」という名の緩衝材が良くも悪くも活かされてきた伝統があるのかも知れない。
 ネガティブにとどまっている人々には少し休憩してもらいつつ,ポジティブに意欲のある人々が動けるところから(また誰かが動きやすい条件整備をしつつ)動いて現場に活力を取り戻すしかない。そんな空気が生まれれば,休憩していた人達もまた戻ってこればいいのである。もっとも自己研鑽をサボれば戻れないだろうけどね。

 のんびりとした希望的観測のもとで「いまの子ども達」はどうなるのよ!とお考えの皆さんもいらっしゃると思う。実際の個別的な対応は現場に任せるしかないし,誰もが納得する対応の仕方はないと諦めるしかない。
 再び健全な公教育を取り戻すには時間がかかる。もはやその立ち位置を誤魔化すことはできない。ならば,大人の私たちは,正しい選択をすることを約束し実行していくこと以外に,いかなる子ども達に対する義務を全うする方法はないと考えるべきだろう。何が正しいかは依然議論の余地があるにしても。

“学校”って何ですか?

 NHKスペシャル「“学校”って何ですか?」が放送されていた。放送を知らず,今日は外部で仕事だったので第1部を見られず,第2部の討論のみ見た。いやはや,伊吹文部科学大臣,あなたはやっぱり上手な役者である。
 男女のアナウンサーが少々上滑り気味な箇所はあったものの,伊吹文部科学大臣,北城格太郎氏,藤田英典氏,あさのあつこ氏,藤原和博氏という論客達の,妥当な事実認識と共有度の高さによって展開した極めて真っ当な議論が見られた。近年,教育をテーマにしたテレビ討論ものとしては,5本の指に入るかも知れない(あと4本は聞かないで…,そう言いたくなるほど真っ当な議論だったということ)。
 それにしても,統一地方選挙前のこの時期に,こうした論客の面々が,学校長の統率力,教育における地方分権の問題と意味,首長と教育長の役割や責任,地方の教育予算に対するプライオリティの置き方について議論を展開したというのは,かなり過激だが,かなり真っ当である。そこまで指摘しちゃって大丈夫?とさえ思われた。同時に出演していた現場の先生方は「教育委員会」の「き」の字さえ口にしなかったほどアンタッチャブルなのに…。
 今回の番組をちゃんと踏まえるならば,選挙権を持つ大人達がとる言動こそいよいよクローブアップされることになる。芸能分野から首長選に立候補するという流行がいささか心配であるが,まともな教育政策を持つ候補者が現れて,投票できるようになることを期待する。
 番組中は,きわめて冷静に国と地方の境界線を示しながら議論が展開していた。それに限らず,議論は非常に抑制がきいていたし,研究者である藤田氏の発言も大変丁寧に取り上げられていた点も評価できる。北城氏の発言も離れすぎるということもなかった。あさの氏は感情面をうまくすくっていた。藤原氏はいつも通り明解だった。それもこれも伊吹文部科学大臣の役者ぶりで引き立てられていたと思う。伊吹文明氏,やはり侮れない人物である。

 追記:まあ,うまくミスディレクションされたと言えなくもない。教育再生会議のトンチンカンさも教育関連3法案のハリボテぶりはまったく素通りしてしまったのも確かである。平成20年度の予算に至っては「安倍総理次第」と「地方自治体次第」という小ずるい責任転嫁をしている。文科省を守るのに,これほどの役者はいないと改めて思うのだ。
 追記2:国のミスディレクションに荷担するつもりではないが,以下のWeb記事も読んでおくべきだろう。その上で,国がすべきこともあると考えたり,議論を深めることが大事なのだと思う。
 「竹中平蔵と松原聡が地方を斬る 統一地方選で問われるもの、問うべきものは何か?(前編)
 「竹中平蔵と松原聡が地方を斬る 統一地方選で問われるもの、問うべきものは何か?(後編)

弥生20日目

 名古屋から東京。明日は現場教員向けのセミナーがあるので主催メンバーとして参加。当日の進行がスムーズにいくように頑張って働く。
 帰ってくる前,古巣に絡んでブルーな知らせを受ける。苦々しい出来事。いつもの通り駄文で吐露したいところだが,別件と混同されても困るので,また別の機会に。人を慮ることは難しい。

 東京は桜が咲いた。満開になったら散歩に出かけよう。心穏やかでいたい。

卒業おめでとう

 当人にしてみると9年間という時間の長さが,長いものなのか,短いものなのか,判断がつかない部分もある。たとえば,こう言い換えてみようか。「9年間の教育歴があります。」それは教員として長いものなのだろうか,それとも箸にも棒にもかからない短いものなのだろうか。
 短期大学教員時代最後の教え子達が,卒業の日を迎えた。
 これまでも幾度と駄文に記してきたが,当初2年間は担任として受け持つはずだったクラスの娘達を1年で放り出し,私は大学院へ再入学するため短期大学を退職した。
 短大のクラス担任変更など大した問題ではないと思われるかも知れない。そもそも,担当教員がまともな助けをした経験を持つ人々など,ごくわずかなのだろう。
 けれども,私が居た職場では,それが機能していたし,少なくとも私はそれを機能させようとしていた人間だった。だから,私は退職しても,機会あるときに彼女たちの様子を見に出かけ,卒業式には出席しようと決めていたのだった。

20070317_a 風で肌寒かったが,晴天に恵まれた。卒業式は終始和やかな雰囲気だった。本当なら最後の時間を学生達とゆっくり過ごしたかったが,京都への出張が重なったため,わずかな時間しか許されなかった。
 式から戻った控え室で,担任を引き継いだ先生と一緒に,一人一人に卒業証書と記念品を手渡す。彼女たちには私からバラの花を一人一輪ずつ贈った。彼女たちからは「レンデフロール」のバラの花を贈られた。お互い内緒で用意していたのが同じバラだったというのは,なんとも不思議なものである。
 なんとか全員に花を手渡した。時間である。じっくりとさよならを交わす余裕がなかったのは残念だが,惜しまれながら別れられるのは,ある意味幸せなのだろう。縁があれば,また会える。

 私もまた,研究者としての側面と教育者としての側面の2つを持つ人種である。ただ,私のそれをややこしくしているのは,研究者としての側面を父親から,教育者としての側面を母親から譲られた性格に重ねてしまっているところにある。
 私の母は,とても心配性で感情的な人である。だから教育者としての私は,おそらくものすごく過干渉なのだと思う。行動においてというよりも,思念としてそうなのである。「あの娘達は大丈夫だろうか」,そんなことをいつも考えてしまっている。
 その行き過ぎを食い止めるのは,研究者としての私である。私の父は,独尊的で現実的な人である。いくら心配したってしようがない。人の関係は,実際には煩わしく,信頼に乏しい。そういう不確かな世の中で自立する構えを崩さない。物事は,最後は独りで解決するものなのだ。
 普段の私はどちらかといえば母親似である。とはいえ,父親似の部分も根深く存在する。そのバランスの上に短期大学教員を9年間続けてきた。その事も感慨深く思い出される。

 僕は君たちを「想う」。それは愛とは言えないし,単なる好きという訳でもないから。ただひたすらに君たちを「想う」よ。その事が,何を生むわけではないにしても。
 2年前,神妙な面持ちで教室に座る君たちのことが,今でも鮮明によみがえる。クラス担任といったって,所詮は有名無実の存在かも知れない。けれども,受け持つ2年間,君たちを見守ることが仕事なのだと思った。できることは,それくらいだと考えた。
 やがて君たちの多くは幼児・保育の現場で子ども達と向かい合う。あるいは,いつか子どもを授かることになる。そうしたら,その子達を「想って」欲しい。その事を願いながら,僕は君たちを「想う」。

 私の短大教員時代は,これでようやく本当の幕を閉じることになった。卒業おめでとう。手を振る彼女たちに言葉を返して祝うとともに,ひそかに自分に向けてこのときを祝った。

弥生16日目

 ドタバタしながら名古屋に移動した。しばらくこちらで雑用を済ませていく。やはり3月の慌ただしさは相変わらず。いよいよ長い春休みが終わりを迎えることになる。
 新しい環境や関係に適応するために,あれこれ試して疲れ気味というところもあるが,基本的には元気である。ただ,運動不足だけは,もうちょっと考えて何とかしなければならない。生活リズムも整えなくては。
 あれこれの宿題も積み上げられたまんまだが,3月残りの時間でなんとか片付けたいところ。さて頑張ろう。